最初から5クラブ全部ではなかった ラス・パルマスが二段階でつくった「島の代表」
UDラス・パルマスは1949年、スペイン領カナリア諸島のグラン・カナリア島で生まれた。五つのクラブをまとめた『島の代表』として知られるが、全クラブが同じ日に消えて一つになったわけではない。全国大会への入口を先につくり、昇格後に統合を完成させた。
島の有力選手が、本土へ移っていた
1940年代後半、カナリア諸島のクラブはスペイン本土の全国リーグに入っていなかった。有力選手は競争水準と収入を求め、海を渡っていく。島内のクラブが個別に選手を引き留めるのは難しい。そこで1949年2月4日、地域連盟副会長マヌエル・ロドリゲス・モンロイが、有力クラブを一つにまとめて全国大会へ参加させる案を出した。
賛成した三つと、すぐには加わらなかった二つ
2月28日の会合で、CDグラン・カナリア、アレナス、アトレティコは統合に前向きだった。一方、マリーノとビクトリアは、歴史あるクラブを失うことへの懸念から態度を決めきれなかった。ラス・パルマス公式史が記すのは、最初から五者一括で進んだ統合ではなく、温度差を抱えた交渉だった。
最初の公式戦は、統合前のマリーノが相手だった
最初の案では、CDグラン・カナリアとアレナスがUDラス・パルマスの土台となり、アトレティコも第1段階に加わった。1949年の地域選手権には、新クラブと、まだ別組織だったマリーノ、ビクトリアが出場した。10月9日の新クラブ最初の公式戦もマリーノ戦だった。この一試合が、統合が段階的だったことをよく示す。
全国リーグ昇格後、五つの名前を紋章へ残した
全国大会への参加は1949年6月6日に承認され、クラブは8月22日に正式発足した。最初のシーズンに3部から2部へ上がり、翌季には1部へ到達する。昇格後、マリーノとビクトリアを含む統合が完成した。現在の紋章には五つの前身クラブのバッジが残る。カナリア自治州政府も2025年4月14日の州金メダル発表で、当時までの1部在籍36季と育成への貢献を挙げた。統合は名前を消すだけではなく、島から全国へ選手を送り出す器をつくる仕事だった。
