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60人の候補が1万4838票を集めた チャールトンの本拠地帰還を動かした「ヴァレー党」
1990年5月3日、ロンドン南東部グリニッジ区の地方選挙に、チャールトン・アスレティックのサポーター60人が立候補した。掲げた争点は、本拠地ザ・ヴァレーへの帰還。サッカークラブの問題を投票用紙へ載せ、区議会が向き合う土地利用の問題に変えた。
1985年、ザ・ヴァレーを離れた
ザ・ヴァレーはロンドン南東部チャールトンにあるクラブの本拠地だ。1985年、クラブの新経営陣は旧会長が所有する土地の自由保有権を維持できず、9月21日のストーク戦を最後に退去した。以後はクリスタル・パレスのセルハースト・パーク、のちにウェストハムのアップトン・パークを借りた。
計画却下が、サポーターを候補者に変えた
クラブは本拠地再建を計画したが、地元のグリニッジ区議会が申請を退けた。サポーターはValley Party、日本語で「ヴァレー党」を結成。1990年の区議会選挙で全36選挙区へ候補を送り、各地でビラを配り、広告会社に勤めるファンが「Vote Valley」のポスターを作った。
60人が得た1万4838票は、10.9%を占めた
ヴァレー党は60人を立て、候補者票を合計して1万4838票、全体の約10.9%を得た。グリニッジ区の選挙は一つの選挙区で複数の候補へ投票できるため、1万4838は支持者の人数ではなく各候補の得票を足した数字だ。既成政党にとっては、本拠地問題が区全体で票を動かす規模だと分かる結果だった。
1991年の認可と資金調達が帰還を完成させた
1991年4月、修正した計画を区議会が認可した。そこから競技場整備と資金調達が続き、クラブは1992年12月5日のポーツマス戦でザ・ヴァレーへ戻った。ヴァレー党の票は政治的な圧力を可視化し、修正計画、議会判断、工事資金が帰還を実現した。選挙運動とクラブ運営が別々の役割を担い、7年間の間借り生活を終わらせた。
