横浜フリューゲルスの青いリボンを継いだ 横浜FCが市民クラブとして始まった1998年
1998年10月、横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併が発表された。存続運動を進めたサポーターは12月、新しい運営会社を設立した。青いリボンは抗議活動から選手の袖へ渡り、現在は横浜FCのエンブレム上部に残る。
10月29日、オリジナル10の一角に合併が告げられた
横浜フリューゲルスは、1993年のJリーグ開幕に参加した10クラブの一つだ。1998年10月29日に横浜マリノスとの合併が発表され、フリューゲルスは同年の天皇杯優勝を最後に活動を終えた。横浜F・マリノスの公式史は、両クラブが1999年に一つのチームとして再出発したと記録する。
12月25日、市民クラブの運営会社が発足した
全国の署名活動と並行し、有志は新クラブ設立へ動いた。1998年12月25日、株式会社横浜フリエスポーツクラブが設立され、横浜FCの歴史が始まった。初代ゼネラルマネージャーの奥寺康彦によると、約3000人のソシオフリエスタとスポンサーの資金を合わせ、約3億円を集めた。チームは全国リーグのJFLで1999年と2000年に優勝し、2001年にJリーグへ入った。
青いリボンは、サポーターから選手へ渡った
存続運動でサポーターが身につけた青いリボンは「青い翼運動」の印だった。1998年シーズン終盤には、フリューゲルスの選手もユニフォームの袖につけた。横浜FCは現在、そのリボンをエンブレム上部に置き、下部のフェニックスを新しい市民クラブの誕生を示す図柄と説明している。抗議、選手との共有、新クラブ設立という順序が一つの章に重なった。
2005年、経営を支える企業が加わった
創設時は、親会社へ依存しない市民クラブを目指した。奥寺は約3000人からの会費とスポンサー出資で始めた一方、安定運営には資金面の課題が続いたと振り返る。2005年にONODERA GROUPが経営へ参画し、クラブ存続を優先して経営権を託したという。青いリボンが伝えるのは創設の原点であり、現在のクラブはその原点に企業経営を重ねて歩んでいる。
