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敗戦後の苦い酒、勝利後の甘い酒 パレルモのピンクと黒を提案した1905年の手紙
シチリア島のクラブ、パレルモFCは創設期に赤と青を使っていた。1905年2月2日、クラブ関係者ジュゼッペ・アイロルディは配色変更を勧める手紙を書いた。チームの勝敗を、苦い黒と甘いピンクで表す案だった。
赤と青は、すでに多くのクラブが使っていた
アイロルディが手紙を送った相手は、英国系のクラブ関係者ジョシュア・ウィテカーだ。手紙には、船員の友人から赤と青は広く使われていると指摘されたこと、ジェノアも同じ二色だったことが書かれている。そこでピンクと黒への変更案を伝えた。文中ではミケーレ・ポイエロ、ブラック氏、ノーマンも案に賛成した人物として登場する。
黒い苦味と、ピンクの甘味を一枚に置いた
手紙は黒を敗戦後に飲む苦い酒、ピンクを勝利後に味わう甘いリキュールに重ねた。成績は「スイス時計のように」上下すると皮肉も添えている。勝った日と負けた日を別々の色に分けず、両方を一枚のシャツへ置く発想だった。1905年は提案の年で、クラブがピンクと黒を正式に採用したのは1907年。二つの年は、手紙から実装までの順序を示す。
120年後、クラブはピンクを『次へ進む色』にした
2025年、パレルモは史上初の全面ピンクの試合着に合わせて「P-INK IT」を発表した。2004年の企画に使われた「誰もが黒だけを見た時、私たちはピンクも見た」という言葉も引き継いだ。レンツォ・バルベラ競技場内のパレルモ博物館には、歴代のシャツや新聞、ファンが寄せた記念品が並ぶ。1905年の軽い皮肉は、勝敗を受け止めて次を探すクラブの言葉へ更新されている。
