難民史を先に、クラブ史を5カ月後に開いた AEKの本拠地に並ぶ二つの博物館
AEKアテネは2023年11月、本拠地の中に「難民ギリシャ人博物館」を開いた。クラブ史博物館の開館は2024年4月。二つを分けたことで、1924年にチームをつくった人々の移動と、その後の競技史を別々の入口からたどれる。
クラブ名の「K」が、移動前の都市を残す
AEKは「Athlitiki Enosis Konstantinoupoleos」の頭文字で、日本語では「コンスタンティノープル体育連合」に近い。コンスタンティノープルは現在のトルコ・イスタンブールだ。クラブは1924年、同地にルーツを持つ難民たちによってアテネで設立された。双頭の鷲の紋章にも、ビザンツ帝国の首都だった故郷の記憶が重なる。
120万人の移動が、ギリシャの人口を2割増やした
AEKの誕生は、ギリシャとトルコの戦争と人口交換に続く大移動の中にある。世界銀行の研究は、1923年前後に約120万人のギリシャ正教徒がトルコからギリシャへ移され、受け入れ側の人口が20%増えたとする。クラブ名に残る一都市の記憶は、国の人口構成を変えるほど大きな出来事の一部だった。
難民地区ネア・フィラデルフィアに本拠地を築いた
AEKはアテネ北部のネア・フィラデルフィアに競技場を整え、1930年11月2日に開場した。ネア・フィラデルフィアは、1920年代の難民住宅地として発展した地区だ。現在の本拠地も同じ地域に立つ。アギア・ソフィアという呼び名は、イスタンブールのアヤソフィアを指す。クラブ名、紋章、地区、競技場の呼称が、それぞれ移動前後の土地をつないでいる。
先に開いた博物館は、クラブ創設以前を扱う
難民ギリシャ人博物館は2023年11月18日に開館式を行った。場所は競技場南棟の1階で、展示面積は約1000平方メートル。コンスタンティノープル、ポントス、カッパドキア、イオニア、スミルナ、東トラキアなど、小アジア各地のギリシャ系住民を一つの展示で扱う。衣服や写真、家族が持ち出した道具を通じ、移動前の暮らしからギリシャでの再出発までを伝えている。
5カ月後、競技の歩みが三階に加わった
AEKの歴史博物館は2024年4月に開館した。競技場に隣接する建物の三階を使い、創設者、歴代チーム、優勝杯、ユニフォーム、他競技の部門を年代順に紹介する。現在は二館の共通券も販売されている。先に人々の移動を知り、その後にクラブの成績と人物を見ることもできる。二つの展示を行き来すると、AEKの「K」が結果表の外で受け継がれてきた理由が具体的に見える。
