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17時03分、主将が31人の名前を読む トリノが追悼を街の予定にした5月4日
トリノFCは毎年5月4日、スペルガ聖堂で1949年の航空事故を追悼する。2026年は17時03分にミサが始まり、主将ドゥバン・サパタが31人の名前を読んだ。夜には街の建物と橋がクラブ色に変わった。
イタリア代表10人を同時に送り出したチームだった
『グランデ・トリノ』は、1940年代のトリノを指す呼び名だ。戦争による中断を挟み、1943年から1949年までリーグ5連覇を達成した。1947年のイタリア代表はハンガリー戦でトリノの選手10人を同時に先発へ並べた。1949年5月4日、チームはリスボンからの帰路でスペルガ聖堂裏手に墜落した。機内の31人全員が亡くなった。
18選手の後に、役員、スタッフ、記者、乗員も読む
2026年の公式日程は、正午の市営墓地での献花と、17時03分の追悼ミサを組み合わせた。ミサの後、サパタが記念碑前で31人の名前を読み上げた。亡くなった18選手に加え、クラブ役員、技術スタッフ、記者、乗員も同じ名簿に入る。追悼の範囲をチームのスターだけに狭めず、遠征を支えた全員へ広げる読み方だ。
22時、モーレ・アントネリアーナと橋がえんじ色になる
式典は丘の上で終わらない。2026年は22時から、トリノの象徴的建築モーレ・アントネリアーナとポー川の主要な橋が『グラナータ』に照らされた。グラナータはトリノFCの深いえんじ色だ。聖堂へ行かない市民も、中心街と川沿いの光で5月4日を知る。クラブ内の追悼が、街の景観へ移される。
次の5月4日まで、三者が記念場所を手入れする
トリノ市は2026年4月17日、市営墓地を運営するAFC Torino、クラブ会員組織Circolo Soci Torino FC 1906と協定を結んだ。会員組織は清掃と日常的な手入れを担い、AFCは運営と物流を支え、市は共同管理の枠組みを整える。スペルガの記念碑では劣化の監視も続ける。主将が名前を読む一日の背後で、次の式典まで場所を守る仕事が動いている。
