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1967年はダラス、1969年からタンジェリン ダンディー・ユナイテッドが米国から持ち帰った色

スコットランドのダンディー・ユナイテッドは、現在のタンジェリン色を米国遠征から持ち帰った。1967年、クラブは北米の新リーグで『ダラス・トルネード』として12試合を戦う。2年後に再訪した時のオレンジ色が、帰国後のユニフォームを変えた。

米国の12都市が、海外クラブを一つずつ借りた

1967年に始まったUnited Soccer Associationは、米国とカナダの12都市へ海外クラブを一つずつ招いた。選手を新たに集める時間が足りず、既存のチームが都市名を着て参加したためだ。ダンディー・ユナイテッドはダラス・トルネードを名乗り、12試合で3勝3分6敗。14得点、23失点だった。この夏だけ、スコットランドの一団がダラスのリーグ記録を担った。

ダラスの名前は、新しい選手たちへ渡った

1967年の大会後、ダラス側は翌年へ向けて独自のチームを組んだ。イングランド、ノルウェー、スウェーデン、オランダなどから若手を集め、スペインで準備を始める。1968年には別の選手たちがトルネードとして北米サッカーリーグを戦った。ダンディーの選手が着た名前は、現地クラブの継続へつながった。

1969年、監督の妻がオレンジ色を持ち帰った

ダンディー・ユナイテッドは1969年夏、ダラスへ再び招かれた。現地で着たのは、青い縁取りのある焼けたオレンジ色のシャツだった。監督ジェリー・カーの妻バーバラが、帰国後も同じ色を使うよう提案する。クラブは黒い縁取りへ替え、同年のエヴァートン戦で初めて着用した。以後、タンジェリンは半世紀を超えてクラブを見分ける色になった。

参考記事Dundee United — 50 years of tangerineFC Dallas — the Dallas Tornado and its 1967–68 transitionAmerican Soccer History Archives — 1967 USA standingsThe Courier — Dundee United's tangerine origin