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控えGKも主将も同じ一票 コリンチャンスの日常から始まった「民主主義」

1980年代初め、ブラジルのコリンチャンスでは、主将、控え選手、スタッフ、経営側が一票ずつ持った。決めたのは練習や遠征、採用、収入配分など、チームの日常だった。その方法が軍政下の社会へ広がり、「15日に投票を」という言葉をユニフォームに載せた。

新任のテクニカルディレクターが、選手の話を聞いた

コリンチャンスは、ブラジル最大都市サンパウロのクラブだ。1981年の不振後、社会学者のアジウソン・モンテイロ・アウヴェスがテクニカルディレクターに就いた。アウヴェスは選手や職員の意見を聞き、厳しい上下関係を変えようとした。ソクラテス、ヴラジミール、カサグランデらも加わった。後に「コリンチャンス民主主義」と呼ばれる動きは、著名な主将一人の発案ではなく、経営側と現場が決定方法を変えたことから始まった。

一票は、練習と遠征にも使われた

投票の対象には試合運営、練習、移籍、採用、収入配分が含まれた。ソクラテスは、クラブ幹部も控えGKも、管理職もマッサージ師も、票の重さは同じだったと振り返っている。選手が意見を言えるという理念だけで終わらず、翌日の予定や働く仲間を決める手順になった。民主主義を大きな標語にする前に、チームは職場の小さな決定から試していた。

「15日に投票を」は、1982年の州選挙へ向けた言葉だった

1982年、チームは「DIA 15 VOTE(15日に投票を)」と入れたユニフォームを着た。11月15日に行われたのは、州知事、連邦議会、州議会などを選ぶ選挙だ。ブラジルでは1964年の軍事クーデター後、政治参加が厳しく制限されていた。この選挙は大統領を直接選ぶ機会ではなかったが、軍政下で複数政党が競う大きな投票だった。クラブは候補者名を掲げず、まず投票所へ行くよう促した。

1982年と1983年の州王者が、政治の話も続けた

コリンチャンスは1982年と1983年にサンパウロ州選手権を制した。1983年の優勝時には「勝っても負けても、いつも民主主義とともに」という幕も掲げた。二つの優勝は、参加型運営と競技成績が同じ時期に共存した事実を示す。一方の成功を、もう一方の直接の成果へ置き換える材料にはならない。チームは勝敗に関係なく続ける価値として民主主義を示した。

ソクラテスの移籍とクラブ選挙が、短い運動を終わらせた

1984年、ソクラテスは大統領直接選挙を求める「ディレタス・ジャ」に参加した。4月25日、直接選挙を可能にするダンテ・デ・オリヴェイラ憲法修正案は、可決に必要な320票へ22票届かなかった。ソクラテスは同年、フィオレンティーナへ移籍した。サンパウロのサッカー博物館は、中心人物の離脱後に運動が弱まり、1985年のクラブ選挙でアウヴェス側が敗れて終わったと説明する。約3年の短い試みだったからこそ、誰が命令し、誰が決めるのかを問い直した事実が残った。

参考記事Corinthians — official history of Corinthians Democracy in the 1980sCorinthians — the movement's place in Brazil's democratic historyMuseu do Futebol — Corinthians Democracy, elections and its endBrazilian Chamber of Deputies — the 1984 Dante de Oliveira votesportanddev — voting inside the club and the movement's public reach