リーグ首位の11人がまとまって志願した ハーツの記念碑が競技場ではなく街に立つ理由
第一次世界大戦中の1914年、スコットランド・リーグ首位のハート・オブ・ミドロシアン、通称ハーツから11人の選手が「マクレー大隊」へまとまって志願した。のちの資料は、クラブと関係した選手を16人とも数える。最初の集団と、その後まで含む人数は同じではない。記念碑は競技場ではなく、エディンバラの交通拠点ヘイマーケットに立っている。
最初にまとまったのは、首位チームの11人だった
マクレー大隊は、元自由党下院議員ジョージ・マクレーが編成した英国陸軍ロイヤル・スコッツ第16奉仕大隊だ。ハーツ公式と英連邦戦没者墓地委員会CWGCは、1914年に選手11人がまとまって志願したと記録する。
当時のハーツはスコットランド・リーグの首位だった。戦争が始まったから競技がすぐ全面停止したわけではなく、スコットランドのリーグは続いた。その中で主力がチームを離れた。
称賛の裏には、プロ選手への圧力があった
開戦直後の英国は志願兵制だった。クラブは選手を手放したがらず、若く健康なプロ選手が試合を続けることへの反発が強まった。CWGCは、入隊を促す風刺画まで示し、サッカー選手が公の批判にさらされたと説明している。
そのため11人の選択を、全員が同じ動機で行った英雄行為とまとめることはできない。個々の決断は公開資料で一様には追えず、チームの結束と社会的圧力が同時にあった。
11人と16人は、同じ名簿ではない
スコットランド・サッカー博物館は、開戦初期にハーツと関係した選手16人が入隊し、多くがマクレー大隊へ加わったとする。11人は最初にまとまって志願した集団、16人はより長い期間と広い関係者を含む数だ。
大隊にはレイス・ローヴァーズ、フォルカーク、ダンファームリン、ハイバーニアン、セント・バーナーズ、イースト・ファイフの選手も加わった。ハーツだけの部隊ではなく、両クラブのサポーターを中心に何百人も志願した。
ソンムの損失を、ハーツの人数へ置き換えない
大隊は1916年7月、ソンムの戦い初期に大きな損害を受けた。博物館の記録では将校12人、兵573人を失い、攻撃に参加した兵力の4分の3を超えた。
これは大隊全体の数字であり、ハーツ選手だけの死傷者数ではない。部隊の損失とクラブの名簿を混ぜると、一人ひとりの記録が見えなくなる。戦闘中の動作や最期について、確認した資料にない描写は加えていない。
記念碑は、競技場の外で街に引き継がれた
ハーツとサポーターが費用を出した記念碑は、エディンバラ中心部のヘイマーケットにある。1922年4月9日の除幕には約4万人が集まった。碑文は第一次世界大戦と第二次世界大戦で亡くなったクラブの選手と会員を悼む。現在もクラブの年次追悼式の場所だ。
2024年、クラブとサポーター所有を支えるFoundation of Heartsは、周囲の石材交換や保存計画を完了した。国営宝くじの文化遺産基金が支援した。11人の逸話を競技場内に閉じず、通勤や移動の途中にある街の記憶として手入れしている。
