第1回W杯の33年前、リメはクラブを作った レッドスターは800人超に文化も教える
FIFA会長として第1回ワールドカップを実現したジュール・リメは、その33年前、24歳でパリのレッドスター創設に関わった。クラブはのちにパリ北郊サン=トゥアンへ移り、現在はサッカーと芸術を組み合わせる無料講座も開く。1897年の理念が同じ制度のまま続いたわけではない。それでも、競技だけに閉じないクラブの姿は別々の時代に現れている。
2月の集まりと、3月の規約提出は別の日だ
レッドスター公式史では、1897年2月21日、パリ7区のカフェで若者たちが新クラブについて話し合った。リメは24歳だった。クラブの規約が行政へ提出されたのは3月12日である。集まりの日と法的な手続きの日は同じではない。
創設者たちはサッカーだけでなく、陸上や自転車競技、文学なども扱う団体を構想した。ただし、現在のRed Star LABがこの時に制度として始まったわけではない。
世界大会は、クラブ創設から31年後に承認された
リメは1920年、国際的なサッカー大会の構想を示した。FIFA総会がワールドカップ開催を承認したのは1928年5月26日で、レッドスター創設から31年後だ。第1回大会は1930年にウルグアイで開かれた。
記事タイトルの33年は1897年と1930年の暦年差であり、クラブ創設がそのまま大会開催を生んだという因果関係を示す数字ではない。二つの出来事に同じ人物が関わった時間の長さを表している。
クラブはパリ中心部からサン=トゥアンへ移った
レッドスターは本拠地を移し、1909年10月24日にサン=トゥアンで最初の試合を行った。サン=トゥアンはパリ北側、セーヌ=サン=ドニ県の街だ。現在の本拠地スタッド・バウアーもここにある。
都心の創設クラブが郊外の街へ根を下ろしたことで、クラブの社会活動もこの地域の学校や若者と結びつくようになった。
2008年に始まったLABは、無料で芸術へ触れる場だ
Red Star LABは2008年に始まった。学校休暇中、地域の若者へ芸術や文化の講座を無料で開く。クラブは2026年3月までの参加者を累計800人超と発表した。800人は一年度の在籍者でも、プロ育成選手の数でもない。複数年の企画に参加した人数である。
写真、映像、音楽、文章など、テーマは競技技術に限られない。サッカーが人を集める入口になり、その時間を別の表現へつなぐ。
育成選手も一週間、ヒップホップを学んだ
2025年には、再開した育成センターのU17選手が一週間の企画に参加した。パリ中心部の文化施設La Placeでヒップホップの歴史や表現を学び、FOOTWORKという映像作品につながった。La Placeはヒップホップ文化を支援するパリ市の施設だ。
1897年の創設者と2025年の選手が同じ授業を受けたわけではない。途切れない一本道として語るより、クラブが競技以外へ若者を連れ出す選択を、後の世代も別の形で重ねたと見る方が資料に忠実だ。
