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セルティックから届いても、すぐ定着しなかった ベティス緑白の寄り道

レアル・ベティスの緑と白は、セルティックとのつながりで語られることが多い。ただ、1910年に初めて着た色が、そのまま定着したわけではない。第一次世界大戦中には単色の緑や青へ戻り、緑白が再び確認できるのは1919年だ。色の由来には、スコットランドの学校とセビリア港を結ぶ物流まで映っている。

シャツは、セビリア港とスコットランド航路を渡った

前身のセビリア・バロンピエは、もともと青いシャツと白いパンツでプレーしていた。選手のマヌエル・ラモス・アセンシオは、スコットランド南西部ダンフリーズのセント・ジョセフ校で学んだ人物だ。同校は、セルティック創設者の修道士ブラザー・ウォルフリッドが関わった学校だった。ベティス公式史によると、ラモスがスコットランドから緑白のシャツを手配し、1910年11月の親善試合で初めて使われた。当時、セビリア港とスコットランドの港には月例の蒸気船があり、鉄や石炭だけでなく、シャツやボールも運ばれた。

セルティックは1903年に横縞、ベティスは1910年に縦縞

セルティックは1887年、グラスゴー東部の貧困を和らげる目的で創設された。緑白は共通するが、柄まで同じだったわけではない。セルティックは1903年に現在につながる横縞へ替えている。一方、ベティスが1910年に着たのは縦縞だった。受け取ったのはクラブカラーの発想であり、当時のセルティックのシャツをそのまま複製した、と単純には言えない。

戦争で緑白が消え、1919年に選び直された

1914年末、前身二クラブの統合後に緑白はベティスの色になった。ところが第一次世界大戦で海上貿易が途切れると、クラブは単色の緑を使い、1916年には創設時の青も着た。緑白の再登場を示す写真資料は、1919年11月のカナリア諸島遠征まで待つ。いまの色は、1910年の一度の導入だけで決まったのではない。輸送が止まり別の色を挟んだあと、クラブがもう一度選んだ色でもある。

参考記事Real Betis — history of the green and white coloursReal Betis — club historyCeltic — the colour connection with Real BetisLaLiga — origins of the Seville clubs' coloursLaLiga — green and white at Betis