消えたクラブの頭文字が、27年後も残る 横浜F・マリノスの「F」は何を引き継いだか
横浜F・マリノスの「F」は、装飾ではない。1998年に合併が発表され、1999年元日に最後の公式戦を迎えた横浜フリューゲルスの頭文字だ。名前は27年後の2026年も残る。ただ、その一文字だけで、二つのクラブの歴史が等しく一つになったと言い切ることはできない。
開幕時の横浜には、二つのクラブがあった
1993年のJリーグ開幕に参加した「オリジナル10」には、横浜マリノスと横浜フリューゲルスがいた。マリノス側の源流は1972年創部の日産自動車サッカー部。フリューゲルス側は1964年の横浜中区スポーツ少年団から始まり、1979年に全日空の支援を受けた。同じ市を本拠としながら、育ってきた道筋は別だった。
1998年10月29日、サポーターは早朝の報道で知った
両クラブの合併が公表されたのは1998年10月29日だった。スポーツナビの2018年の取材では、元サポーター団体代表が、早朝のテレビ番組で紹介された新聞の早刷りから初めて知ったと振り返る。専属カメラマンも朝のニュースで知った。同記事は、佐藤工業の撤退後、全日空と日産自動車が合併で合意したと経緯を整理している。クラブを支えた人たちへ届く前に、親会社側の話が進んでいた。
最後の公式戦は、元日の決勝だった
フリューゲルスは合併発表後も天皇杯を勝ち進み、1999年1月1日に清水エスパルスとの決勝を迎えた。これがクラブ最後の公式戦になった。元主将の山口素弘はJFAの回想で、敗れれば終わる大会を、チームそのものが消える状況で戦ったと振り返る。勝って終えたが、クラブの存続が決まったわけではなかった。
1999年、新しい名前に一文字が加わった
横浜F・マリノス公式史は、1999年に二クラブが「一つになり」、現在の名称が生まれたと記す。小学館の事典は、Fをフリューゲルスの頭文字を残したものと説明する。フリューゲルはドイツ語で「翼」。消えた名称を丸ごと並べるのではなく、一文字を既存名の中へ置いた。
公式史の「一つ」と、サポーター側の「消滅」
同じ出来事を、スポーツナビの2018年の記事はフリューゲルスの「実質的な消滅」と表現する。取材に応じた元サポーター団体代表は、クラブを知らない世代が増え、記憶が薄れることへの危機感を語った。Fがフリューゲルスの頭文字であることは確認できる。ただ、それを二クラブの継承と見るか、消滅を忘れないための印と見るかは同じではない。その差まで、名称の中に残っている。
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