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南アフリカでの英国軍敗戦が、アンフィールドの客席名になった 「コップ」に残る1900年

リヴァプールの本拠地アンフィールドで、熱心なサポーターが集まるゴール裏は「コップ」と呼ばれる。語源は南アフリカの丘、スピオン・コップだ。1900年、英国軍が敗れた戦場の名が、6年後に新しい立ち見席へ移った。現在の客席名には、歓声より前の戦争の記憶が残っている。

客席より先に、南アフリカの丘があった

スピオン・コップの戦いは、1900年1月23日から24日にかけて起きた。当時の英国と、南アフリカ共和国、オレンジ自由国というボーア人の二つの共和国が戦った第二次ボーア戦争の一場面だ。英国軍は、包囲されていたレディスミスの町を救うため、この丘の攻略を試みた。しかし1月24日の戦闘はボーア側の勝利に終わった。

300人を相手に、英国軍は大きな損失を出した

国立陸軍博物館によると、最初に丘へ送られた部隊は英国軍全体の1割未満で、守るボーア兵は約300人だった。それでも戦闘は大きな損失を生んだ。Forces Newsは、243人が死亡し、約1250人が負傷したと伝える。霧の中で英国軍が確保した場所は山頂を守るには不十分で、さらに高い地点から砲撃と銃撃を受けた。

8月25日、開場前の地元紙に名が出た

リヴァプールFCは1906年夏、アンフィールドを大きく改修した。新しい土盛りの立ち見席は132段あり、最大2万人を収容できた。8月25日付のリヴァプール・エコーは、開場前の紹介記事で、この巨大な土の壁が「スピオン・コップ」と呼ばれていると記した。最初のホーム戦は9月1日。名称の記録と、客を入れた初日には1週間の差がある。

名づけ親より先に、呼び名が広がった

長く名づけ親とされてきたのは、リヴァプール・エコーのスポーツ編集者アーネスト・「ビー」・エドワーズだ。ところがクラブが2026年9月に公開した再検証では、彼が発案した証拠は見つかっていない。記事は、戦争を経験したサポーターが先に使い、エドワーズが新聞で広めた可能性をより有力とする。報道で安定して「コップ」と呼ばれるのは1912年以降で、クラブが公式に使った確かな記録は1928年の屋根新設時まで下る。

1906年から1994年まで、立ち見だった

リヴァプール博物館は、元の立ち見コップが1906年から1994年まで続いたと記録する。1989年のヒルズボロ惨事後に客席の安全基準が見直され、最後の立ち見試合は1994年4月30日に行われた。建て替え後は1万2850席の座席スタンドになったが、「コップ」の名は残った。同じ言葉が、南アフリカの丘とアンフィールドのゴール裏を今も結んでいる。

参考記事Liverpool FC — 120 years of the Spion Kop nameNational Army Museum — Spioenkop campaignForces News — Battle of Spion Kop at 125Museum of Liverpool — The Kop's last standFourFourTwo — why the Kop is called the Kop