1952年に開場、1954年にプロ参入 プーマス本拠地はUNAMの世界遺産キャンパスにある
情報確認日: (JST)
エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオが開いたのは1952年11月20日。プーマスUNAMが2部で最初のプロ公式戦を行ったのは1954年9月12日だった。二つの日付の間には1年10か月近い開きがある。先に造られた競技場はいまも本拠地で、競技場を含むメキシコ国立自治大学(UNAM)の中央キャンパスは2007年に世界遺産へ登録された。
1万人超が8か月で造った
競技場は、メキシコシティ南部に広がるペドレガル・デ・サン・アンヘルのくぼ地に造られた。設計を担ったのはアウグスト・ペレス・パラシオス、ホルヘ・ブラボ、ラウル・サリナス・モロの3人。メキシコ市の案内によると、建設には1万人を超す労働者が加わり、工期は8か月だった。1952年11月20日、全国青年競技大会の会場として開場した。
1954年9月、学生主体で2部へ
プーマス公式史によると、メキシコサッカー連盟が大学チームの2部参入を認めたのは1954年9月4日。8日後、モンテレイのエスタディオ・テクノロヒコで最初のプロ公式戦を行った。この初戦の日付と対戦相手は、メキシコのスポーツ媒体Mediotiempoも記録している。選手の出身について、クラブ公式史は主にUNAMの工学部、建築学部、法学部から集めたと説明する。学生たちは1954-55シーズンを戦った。1974年に作られた現在のクラブ章では、丸みを帯びた三角形がUNAMの教育、研究、文化の普及を表している。
リベラの壁画は1957年に未完で止まった
競技場の外側には、メキシコ壁画運動を代表する画家ディエゴ・リベラの作品がある。大学や家族、平和、スポーツに励む若者を扱った壁画で、リベラが制作を率いた。1957年に本人が亡くなり、計画は完成しなかった。リベラが制作した部分が外壁に残り、計画全体は未完のままになった。
登録対象は176.5ヘクタールの中央キャンパス
競技場は1968年メキシコ五輪の主会場となり、1986年ワールドカップでも使われた。ユネスコが2007年に世界遺産へ登録したのは、競技場を含むUNAM中央大学都市キャンパスの176.5ヘクタールだ。建物、運動施設、広場などを含み、1949年から1952年に60人を超す建築家、技術者、芸術家が計画した。プーマスは、クラブがプロへ参入する2年前に完成した大学都市の競技施設を、いまも本拠地として使っている。
