「新潟」を名前から外すまで22年 シンガポールの育成拠点がFCジュロンになった
2004年にアルビレックス新潟の海外拠点として始まったチームは、2026-27シーズンからFCジュロンを名乗る。22年の間に変わったのは名前だけではない。日本人選手の実戦経験をつくる場から、シンガポール人が中心の地域クラブへ、役割が段階的に移ってきた。
2004年、日本人の若手を送り出す場所として始まった
ジュロンはシンガポール西部の住宅・産業地域だ。クラブは2004年、当時のSリーグへ参加した。シンガポール・プレミアリーグは、アルビレックス新潟のサテライトとして生まれ、当初は日本の大学や育成組織を出た選手が中心だったと説明する。日本の下部組織を移したのではなく、別の国のリーグで公式戦を経験させるチームだった。
6度の優勝で、育成拠点はリーグの強豪になった
チームは2016、17、18、20、22、23年にリーグ優勝した。2016年には国内主要4タイトルをすべて獲得した。若手を送り出す場として始まりながら、現地リーグの優勝争いを左右する存在になった。だからこそ、誰がプレーし、どの地域を代表するのかが次の課題になった。
2018年の2人から、2024年の地元選手中心へ
2018年、アダム・スワンディとシャフル・ライヤンが最初のシンガポール人選手として加わった。クラブは2023年9月、翌シーズンからトップチームを日本人中心からシンガポール人中心へ変えると発表した。人数を少し増やす変更ではない。リーグ上の扱いも、外国招待チームから地元クラブへ移った。
改称はトップ、女子、アカデミーで時期が違う
2025年11月に発表された新名は「アルビレックス・ジュロンFC」だった。2026年4月7日の改訂発表で、トップチームは2026-27シーズンからFCジュロンへ変わった。女子チームとアカデミーは2026年にアルビレックス・ジュロンを使い、2027年からFCジュロンを名乗る。全組織が同じ日に「新潟」を外したわけではない。
新しい名前で、地域の人を迎えた
2026年9月2日の新シーズン開幕行事には、スポンサーやクラブ関係者に加え、ジュロン地区の住民、地元選挙区の国会議員、日本大使が出席した。日本とのつながりを隠すのではなく、地元側の顔ぶれを同じ場へ迎えている。FCジュロンという名前は、選手構成に続いて、クラブが誰の隣に立つかを示す変更になった。
