紋章の創設年を44年さかのぼらせた クリスタル・パレスの「1861か1905か」
ロンドン南部のクリスタル・パレスは2022年、クラブ章の創設年を1905年から1861年へ変えた。44年の差がある。争点は、1861年のアマチュアチームと1905年にプロ化したクラブを、同じ組織の途中経過とみなせるかだ。クラブは1861年から続く歴史を掲げる。一方、イングランドサッカー協会(FA)の公式史は、1863年の同名クラブを現在のプレミアリーグのクラブとは別と注記している。
1861年のチームと1862年の初戦は記録に残る
クリスタル・パレスは、1851年のロンドン万国博覧会で使われ、後にロンドン南部へ移された巨大なガラス建築の名だ。クラブ側の調査では、その施設を運営したクリスタル・パレス・カンパニーが1859年にクリケットクラブを設け、選手たちが1861年にサッカーチームをつくった。最初に報じられた試合は1862年3月15日。1863年にはFA創設会合へ参加し、1871-72年の第1回FAカップで準決勝まで進んだ。
試合が止まった1876年から、プロ化した1905年まで
クラブ側の記録では、初期チームは1876年にサッカーの試合を止めた。その後もクリケット活動は続き、1895年に同社の競技場でFAカップ決勝が始まると、アマチュアチームが親善試合へ戻った。1905年、同社はW・G・グレースらの協力を得てチームをプロ化し、サザンリーグへ参加させた。29年の間に試合は途切れたが、施設運営会社とスポーツ活動は残った、というのがクラブのつなぎ方だ。
クラブは「解散して別にできた」という旧説明を改めた
転機はクラブ史家ピーター・マニングの調査だった。古い新聞や競技年鑑をたどり、初期チームは施設の臨時労働者がつくって解散したのではなく、クリケットクラブと運営会社を通じて1905年へつながると論じた。クラブはこの解釈を採用し、公式史を1861年始まりへ改めた。ただし、同じ名称や場所だけで連続性が自動的に決まるわけではない。鍵は、活動が止まった時期にも同じ運営主体が残ったとみるかどうかにある。
FAの公式史は、現在のクラブへの線を引いていない
FAの創設史にも、1863年の会合に参加したクリスタル・パレスの名はある。ただし脚注で、現在のプレミアリーグ所属クラブとは関係がないとしている。1861年のチームが存在したことではなく、1905年のプロクラブへ組織が続いたかで立場が分かれている。クラブが示す「運営会社による継続」を、FAの公式ページは採用していない。
2022年、クラブは紋章の数字を1905から1861へ替えた
クラブは2022年6月、翌シーズンから使う紋章を発表し、創設年を1861へ変更した。これはFAが共通の結論を出したという意味ではない。クラブが、どのチームと運営主体を自分たちの前史に含めるかを示したものだ。現在もクラブ公式史は1861年、FA公式史の脚注は別組織という二つの表記が並んでいる。
