最初の一日は「公式チーム」ではなかった バルセロナ女子が1970年の11人を起点にする理由
FCバルセロナ女子の起点は、1970年12月25日にカンプ・ノウでプレーした11人に置かれている。だが、当日のチーム名はFCバルセロナではなく「セレクシオ・シウタット・デ・バルセロナ」。クラブの正式部門でもなかった。現在の強豪へ一直線につながったのではなく、選手たちが名前と立場を何度も変えながら残した入口だった。
18歳の一人が、会長へ持ち込んだ
発起人は当時18歳のインマクラーダ・カベセランだ。FCバルセロナの公式人物紹介と地元紙ARAによると、彼女はクラブ会長アグスティ・モンタルに女子チームの構想を伝え、選手を集めた。クラブが先に女子部門を用意したのではない。プレーしたい女性たちが先に集まり、カンプ・ノウで試合をする機会を得た。
クラブ章を着けられなかった、クリスマスの初戦
1970年12月25日、11人はカンプ・ノウでUEセンテリェスと対戦した。センテリェスはカタルーニャ州の町を本拠とするチームだ。監督はバルセロナの名GKだったアントニ・ラマレッツ。選手はクラブ章のない白いシャツ、青いパンツ、バルセロナのソックスを着た。男子トップのCSKAソフィア戦に先立つ慈善イベントの一試合だった。クラブは現在、この一戦を女子チームの「胚」、つまり出発点と表現している。
なぜ「創設」ではなく「起点」なのか
当日の名称はセレクシオ・シウタット・デ・バルセロナで、直訳すればバルセロナ市選抜だ。まもなくペニャ・フェメニーナ・バルセロニスタと名乗ったが、FCバルセロナの正式部門ではなかった。ユニフォームや施設の支援があっても、組織上の所属は別だった。この区別を外すと、1970年から現在まで同じ条件で運営されたように見えてしまう。
最初の公式タイトルも、後から見つけ直された
クラブの調査では、女子チームが初めて公式タイトルを取ったのは1985年6月29日のコパ・ヘネラリタットだった。この優勝は長く公式実績の一覧から抜け、50周年に向けた資料調査で加えられた。全国タイトルのコパ・デ・ラ・レイナ初制覇は1994年。1985年の一冠は、試合から35年後にクラブの優勝一覧へ戻った。
正式編入は2002年、プロ化は2015年
クラブの50周年史は、チームがFCバルセロナへ正式に編入されたのを2002年としている。1970年の初戦から32年後だ。プロ化は2015年で、初戦から45年後になる。2021年1月6日のカンプ・ノウ復帰は、プロ化後初めて同競技場で行った試合だった。クラブは1970年を現在と同じ組織の完成日とはせず、出発点として扱う。そうすれば、制度上の区切りと、最初に動いた11人の両方を歴史に残せる。
