二つのクラブで建て、1年足らずで片方が持分を売った アリアンツ・アレーナの所有史
ドイツ南部ミュンヘンのアリアンツ・アレーナは、いまバイエルン・ミュンヘンの赤い本拠地として知られる。だが出発点は、同じ街のTSV1860ミュンヘンとの共同事業だった。運営会社は50%ずつ。2005年5月の開場から11か月足らずで、片方は持分を売った。外壁の色より先に変わったのは、所有の形だった。
建設を決めたのは、クラブだけではない
バイエルンと1860は2001年1月、新競技場を共同で建てる方針を組んだ。候補地は市北部フレットマニング。10月21日の住民投票では65.8%が賛成し、34.2%が反対した。投票率は37.5%で、必要な10%の成立要件を満たした。市は交通などの基盤整備費を担う方針だったため、競技場は二クラブだけの契約ではなく、市民判断を含む都市事業でもあった。
会社は50%ずつで始まった
2001年12月、両クラブは建設・運営会社ミュンヘン・シュタディオンGmbHを設け、それぞれ50%を持った。GmbHは日本の株式会社と完全には同じでないが、有限責任の会社形態だ。2005年5月30日は1860対ニュルンベルク、翌31日はバイエルン対ドイツ代表で開場を祝った。最初の二日間は、共同本拠地であることを試合順にも表していた。
1860の50%は、1100万ユーロで移った
2006年4月27日、バイエルンは1860の持分50%を1100万ユーロで買った。開場から11か月に満たない。1860には、4年以内に利息を加えて返せば持分を買い戻せる権利が残った。売却時点では、競技場会社の所有者ではなくなっても、本拠地として使い続け、持分を取り戻す道は残っていた。
所有者ではなく、借り手として残った
2008年4月、買い戻し権は正式に廃止された。バイエルンが唯一の株主となり、1860は2025年までの賃貸契約で試合を続ける形になった。ところが2016-17季後、1860が4部へ降格したことを受け、2017年7月に賃貸契約も終了した。合意には将来の復帰を認めない条項が含まれた。2018年には客席や通路がバイエルンの赤へ改装され、共同本拠地の見た目も消えた。
3億4600万ユーロの返済と、所有は別の話
バイエルンは2005年に組んだ3億4600万ユーロの競技場融資を、約9年半で返した。返済計画は2030年までの25年だったため、ほぼ16年早い。2014年には保険会社アリアンツが、サッカー事業を担うFCバイエルン・ミュンヘンAGの株式8.33%を1億1000万ユーロで取得した。資金は競技場債務の返済と育成施設に使うと発表された。これは1860が売った競技場会社の50%とは別の株式だ。名称スポンサー、クラブ会社の株主、競技場会社の所有者を分けると、同じ金額でも意味が違う。
