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胸広告が禁止なら、鹿をクラブ章にする ブラウンシュヴァイクが1973年に開けた穴
1973年の西ドイツでは、ユニフォームに広告を入れられなかった。そこでアイントラハト・ブラウンシュヴァイクと近郊の薬草酒メーカー、イェーガーマイスターは、企業の鹿印をクラブ章に変えた。広告ではなく紋章として胸へ置くためだった。
赤いライオンを、プロ部門だけ鹿へ替えた
イェーガーマイスターの経営者ギュンター・マストとクラブ会長エルンスト・フリッケは、シャツを広告面にする案を進めた。だがドイツサッカー連盟(DFB)の1967年決議が認めたのは、クラブ名、クラブ章、背番号など。広告は禁じられていた。会員は1973年1月、アマチュア部門のライオンを残し、プロ選手の章だけを鹿へ替える案に賛成した。
年10万マルクを5年、鹿は直径14センチ
契約条件は年10万ドイツマルクを5年間。50万マルクは5年分の合計で、初年度に一括で入った額ではない。鹿印は当初20センチ、次に18センチが検討されたが、DFBは14センチへの縮小と「EB」の文字を求めた。1973年3月24日のシャルケ04戦で、主審が定規を当てて大きさを確かめた。試合は1-1だった。
最初の一着より、10月27日のルール変更が大きかった
オーストリアや西ドイツの下部リーグには先行例があり、「世界初」ではない。ブラウンシュヴァイクは、DFBの許可を得てスポンサー印を着けた最初のブンデスリーガ勢だった。DFBは同年10月27日、一般のシャツ広告を認めた。鹿が開けた穴を、他クラブも使える共通ルールへ変えた日である。
