決勝の6日前に名前を変えた パルメイラスが新名称の初戦で優勝した1942年
1942年9月14日、サンパウロのPalestra de São Pauloは現在のSociedade Esportiva Palmeirasへ改名した。6日後の州選手権で初めて新名称を使い、その試合で優勝を決めた。現在の名前が生まれた背景には、第二次世界大戦下の国家政策と、イタリア移民が築いたクラブの歴史が重なる。
1914年、イタリア移民の若者がPalestra Italiaをつくった
パルメイラスの出発点は、工場労働者や移民が多く暮らしたサンパウロ市ブラース地区にある。イタリア系住民らは1914年8月26日、Palestra Italiaを創設した。名称と緑、白、赤の色は、移民社会がクラブに託した出自を表していた。
1942年3月、最初の改名でItaliaを外した
ブラジルは1942年1月にドイツ、イタリア、日本との国交を断った。3月、クラブは政府の要求に応じてPalestra de São Pauloへ改名し、紋章から赤を外して緑、黄、白を使った。約6か月のあいだ、チームはこの中間の名称で州選手権を戦った。
9月14日、Pの文字を残してPalmeirasを選んだ
ブラジルの対枢軸国参戦後、クラブは名称をもう一度変えるよう求められた。Palestraはギリシャ語由来の語だが、当時はイタリアとの結びつきを示す名前として扱われた。9月14日の臨時会議でSociedade Esportiva Palmeirasを採用。頭文字Pを保ち、旧クラブAssociação Atlética das Palmeirasへの敬意も込めたと公式史は説明する。
9月20日、ブラジル国旗とともに新名称で入場した
新名称の初戦は、サンパウロ市営パカエンブ競技場でのサンパウロFC戦だった。陸軍大尉でクラブ第2副会長のアダウベルト・メンデスが先頭に立ち、選手はブラジル国旗を掲げて入場した。パルメイラスが3対1とした後、PK判定と退場に抗議したサンパウロが競技を打ち切り、州選手権の優勝が決まった。
『Arrancada Heroica』は、改名と優勝を結ぶクラブの記憶になった
クラブはこの一連の出来事をArrancada Heroica、「英雄的な進撃」と呼んでいる。名称変更を迫られた時間と、新しい名前で獲得した最初のタイトルを一つの物語にまとめた呼称だ。1942年の記録をたどると、3月の中間名、9月14日の最終決定、20日の試合という三つの段階が見える。
