県リーグの清水FCからオリジナル10へ 市民持ち株会22%が支えたエスパルスの出発
1991年にJリーグ参加が決まった10クラブは、日本サッカーリーグ(JSL)1部から8、2部から1、静岡県1部から1という顔ぶれだった。県リーグの清水FCを土台に、地域の選手、企業、市民から資金を集める。市民持ち株会は5%の割り当てから22%の筆頭株主へ育った。
県リーグの清水FCが、10番目の席に入った
Jリーグの最初の10クラブは、JSL1部から8、2部から1、静岡県1部から1という構成だった。県リーグから選ばれた一つが清水FCだ。清水市は市の総合計画にプロクラブ結成を盛り込み、1990年6月に参加を表明。1991年2月14日、参加10クラブの一つとして発表された。
小学生から積み上げた選手層が、クラブの母体になった
清水FCは、全国大会で実績を重ねた小学生選抜の上部組織として生まれた。社会人チームも1984年の全国社会人選手権で準優勝し、1986年に東海リーグへ昇格している。企業チームの組織を引き継ぐ代わりに、少年団、高校、地域クラブが育てた選手と指導者を集めた。
5%の募集枠が、22%の筆頭株主へ広がった
運営会社エスラップ・コミュニケーションズは1991年5月に設立された。当初の資本金は8億円で、市民持ち株会への割り当ては5%だった。応募が集まり、同年11月に11億円、1993年4月に15億9500万円へ増資。持ち株会は22%を保有する筆頭株主になった。22%は創設期の数字で、市民から集めた資金が当時最大の株主群をつくったことを示す。
青を希望するクラブが重なり、みかんのオレンジを選んだ
チームカラーには清水FCのマリンブルーが有力だった。参加10クラブのうち6クラブが青を希望したため、清水は静岡のみかんを連想させるオレンジを採用した。名称のS-PULSEは、清水、静岡、サッカーの頭文字Sと、英語で鼓動を表すPULSEを組み合わせている。新クラブは資金だけでなく、名前と色にも街との接点を置いた。
1998年、運営会社は変わり、市民クラブの理念が残った
1998年2月、株式会社エスパルスが旧運営会社から営業権を受け継いだ。クラブは現在も目標像に「市民が作り育て」と掲げる。1991年の22%は創設時の株主構成を示す数字だ。県リーグのチーム、人材、市民出資を組み合わせた出発点が、現在の理念へつながっている。
