1季の競技場名から10年後の広場へ ダルムシュタットがヨナタン・ハイメスを残す
ドイツ南西部のSVダルムシュタット98は2026年8月30日、本拠地の正面前庭を「ヨナタン・ハイメス広場」として開いた。26歳で亡くなった一人のファンの名は、2016-17シーズンの競技場、南スタンドを経て、人が集まる入口へ移った。
26歳で亡くなった「リリエン」の仲間
ヨナタン・ハイメスは、フランクフルトの南にある街ダルムシュタットでクラブを支えたファンだ。長くがんと向き合い、重い病気の子どもや若者を支援する団体「DU MUSST KÄMPFEN」を立ち上げた。その名は「戦わなければ」という意味で、ハイメスの言葉と青い腕輪は、クラブが3部から1部へ上がった時期に選手や街へ広がった。クラブの愛称「リリエン」はユリを指す。
メルクが広告枠を1季譲った
ハイメスは2016年3月に亡くなった。医薬・化学企業メルクは市営競技場の命名権を持っていたが、2016-17シーズンは使用を見送った。本拠地は「ヨナタン・ハイメス・シュタディオン・アム・ベレンファルトー」と呼ばれた。翌季からメルク名が戻り、今も「メルク・シュタディオン・アム・ベレンファルトー」が公式名称だ。企業名を外した期間は一季に限られていた。
南スタンドより、人が集まる前庭へ
その後、南スタンドがハイメスの名を受け継いだ。2026年春、ファンの提案から主スタンド前庭を記念場所にする計画が始まり、クラブとハイメス家が内容を整えた。広場の完成に伴い、南スタンドは元の名称へ戻った。名を増やす形ではなく、観客が通り、待ち合わせる場所へ移した。
8月30日、父親が開場に立ち会った
ハノーファー96戦が行われた2026年8月30日、クラブ会長マルクス・プフィッツナーと父マルティン・ハイメスが広場の開場を告げた。2016年はスポンサーが命名権を譲り、後にはクラブと広告主がスタンド名を支え、2026年はファンの提案を家族とクラブが形にした。同じ名前を残す行為でも、担い手と場所は10年の間に変わっている。
