選手、職員、サポーター41人が同じ大隊へ レイトン・オリエントがフランスに残す三人の名
ロンドン東部のレイトン・オリエントは、第一次世界大戦当時「クラプトン・オリエント」と名乗っていた。選手、職員、サポーターの41人がサッカー関係者を集めた大隊へ入った。1916年には三選手がソンムの戦いで死亡し、クラブの記憶は本拠地とフランス北部の村に残った。
41人は、ピッチの内側と外側から集まった
1914年12月、サッカー選手、クラブ職員、観客へ入隊を呼びかける会合がロンドンのフラム市庁舎で開かれた。集まった人々はミドルセックス連隊第17奉仕大隊へ入り、のちに「フットボーラーズ大隊」と呼ばれる。クラプトン・オリエントから参加した41人には、選手と職員に加えてサポーターも含まれた。国立陸軍博物館は、同クラブを集団で入隊した最初のイングランド・フットボールリーグ所属クラブとしている。
仲間をまとめる募集方法が、サッカー界にも及んだ
第一次世界大戦初期の英国では、同じ職場や地域の知人を一つの部隊へ集める「パルズ大隊」が使われた。フットボーラーズ大隊も、その考え方をサッカー界へ広げた編成だった。クラブ単位の参加は募集を進めやすくする一方、戦闘の被害が同じ職場や地域へ集中する結果も招いた。41人という数字には、クラブの結束と、戦時の募集制度が重なっている。
名簿は、三選手の出場記録まで残した
ウィリアム・ジョナスは1916年7月27日に戦死した。ジョージ・スコットは負傷後、8月16日に死亡。中隊曹長リチャード・マクファデンは10月23日に負傷がもとで亡くなった。三人はいずれもソンムの戦いでミドルセックス連隊第17大隊に所属していた。帝国戦争博物館が登録するクラブの名簿には、三人の階級や死亡日とともに、オリエントでの出場数と得点も記されている。
本拠地の芝が、フレールの記念碑へ渡った
2011年7月10日、ソンムの戦場に近いフランス北部フレールで、高さ2メートルの花こう岩の記念碑が除幕された。2年間の募金で1万5000ポンドを集め、当日はオリエントのサポーター200人以上が地元住民やクラブ関係者と参列した。レイトンの本拠地から運んだ芝も記念碑の横へ植えられた。三選手の名とクラブ章を刻んだ石に、現在のホームの一部を添えた。
2026年も、戦場跡へ向かう旅が続いた
ソンムの戦いから110年となる2026年、サポータークラブは再び追悼旅行を企画した。クラブの本拠地には三選手の写真やマクファデンがジョナスの死を伝えた手紙の複製を含む名簿があり、フレールには現地の記念碑がある。二つの場所を往復する活動が、入隊者を大きな数字だけで扱わず、クラブで働き、プレーし、観戦した個人として伝えている。
