赤と黄ではなく、緑と黒を着た日 RCランスが120年前の炭鉱事故を記憶する理由
2026年3月、RCランスの男子と女子は、普段の赤と黄ではなく緑と黒を着た。1906年3月10日のクーリエール炭鉱事故から120年。1099人が亡くなり、そのうち242人は16歳未満だった。クラブの最初の色を着直す試合は、炭鉱街の記憶を現在の予定へ戻した。
男子は3月8日、女子は3月11日に緑と黒を着た
フランス北部のRCランスは、男子が3月8日のメス戦、女子が3月11日のモンペリエ戦で記念ユニフォームを着た。事故の日を挟んで、トップチームと女子チームが同じ追悼を担った。男子の試合前には黙とうが行われ、ユニフォームには120年の記念章が入った。追悼を一試合の演出で終わらせず、クラブ全体の週の予定にした。
緑は広場、黒は石炭だった
クラブ公式史によると、RCランスは1906年、町の学生たちがカフェでチームをつくったことから始まった。最初の緑は選手が集まったプラス・ヴェルト、つまり『緑の広場』に由来し、黒は石炭を表した。公式史が記す創設の起点は学生と広場だ。同じ1906年に町の大事故が起きたという時間の重なりを、2026年のユニフォームが結び直した。
1099人のうち242人は16歳未満だった
クーリエール炭鉱事故は1906年3月10日午前6時34分、ビリー=モンティニー、メリクール、サローミーヌにまたがる坑道で起きた。約110キロの坑道が影響を受け、1099人が亡くなった。うち242人は16歳未満。272人は身元を特定できず、14人は長い地下生活の末に生還した。120年という区切りは、働く子どもを含む被害の大きさを次の世代へ渡すためのものでもある。
炭鉱が閉じても、町の形は残った
地域最後の炭鉱は1990年12月に閉じた。それでも、坑口、ぼた山、労働者住宅、学校、教会、病院、集会所、スポーツ施設は炭鉱時代の生活圏を伝えている。ユネスコは2012年、約120キロにわたる109の構成資産を『ノール=パ・ド・カレー炭鉱盆地』として世界遺産に登録した。109は建物一棟の数ではなく、鉱山と暮らしを一体で残すまとまりの数だ。
歌、坑内灯、競売が記憶を試合日へ戻す
ランスでは後半開始前、炭鉱労働者の暮らしを歌った『レ・コロン』が流れる。クラブの紋章には坑内灯があり、ホームスタジアム名にはランス鉱山会社で経営を担ったフェリックス・ボラールの名が残る。2026年には選手着用ユニフォームの一部も競売にかけ、収益を地域の遺産・記憶団体へ回した。炭鉱の仕事が消えた後も、歌と名前と一週間の予定が、町の過去を繰り返し現在へ連れてくる。
