港で見たスウェーデン船から選んだ ボカの青と黄に残るラ・ボカの日常
ボカ・ジュニオルスの青と黄は、アルゼンチン国旗とも、創設者たちの故郷イタリアとも違う。クラブ公式史によると、港で働いていたフアン・ブリチェットがラ・ボカでスウェーデン船を見て、その国旗の色を提案した。二色が現在の横帯になるまでと、港町の記憶がクラブカラーに残った理由をたどる。
白と黒、水色、縞柄のあとに来た二色
ボカは1905年4月3日、エステバン・バグリエット、アルフレド・スカルパッティ、サンティアゴ・サナ、テオドロとフアン・アントニオのファレンガ兄弟によって創設された。
創設時のシャツは青と黄になる前だった。クラブ公式史は、白いシャツに黒い布を縫った型、水色、縞柄を試したと説明する。その後、港湾労働者だったフアン・ブリチェットがラ・ボカでスウェーデン船を見て、国旗の青と黄を提案した。
Reutersも、港にいたスウェーデン船の旗が色の由来になったと伝えている。今回確認できたクラブ公式史と独立報道は、船名を挙げていない。
二色を選んだ日と、横帯ができた日は分ける
クラブ公式の年表では、この挿話は「1910」の項目に置かれている。ただし、船を見た日付は本文に書かれていない。Reutersは創設当時の出来事として紹介しており、資料から特定の年を一つに絞るのは難しい。
はっきりしているのは、形が後から変わったことだ。公式史によると、当初は黄色い帯を使い、1913年に胸を横切る金色の帯を採用した。青と黄を選んだ後、横帯が現在につながる形を整えた。
ジェノヴァ人の街で、スウェーデン旗を選ぶ
ラ・ボカは、ブエノスアイレス南東部、リアチュエロ川がラ・プラタ川へ注ぐ河口の地区だ。市の公式史によると、19世紀末にはイタリア系、とりわけ港町ジェノヴァ出身の移民が増えた。
ボカの愛称「セネイセ(Xeneize)」も、ジェノヴァ人を指す方言に由来する。創設者の背景はイタリア、クラブカラーのきっかけはスウェーデン。二つをつないだのが、各国の船と移民が行き交うラ・ボカの日常だった。
青と黄は外国の国旗から借りた色だ。それでも、その選び方には港町で生まれたクラブらしさが残っている。
