アカデミーを閉鎖し、6年後に再開 ブレントフォードがBチームを残した理由
ロンドン西部のブレントフォードは、2016年に9歳前後から選手を育てるアカデミーを閉じ、17~21歳中心のBチームへ絞った。2022年にはアカデミーを再開し、2026年に最高区分のカテゴリー1へ到達した。それでもBチームは残る。閉鎖と再開の間に、選手をトップへ送る別の階段ができていたからだ。
2016年、幼い年代から抱える仕組みを手放した
当時のオーナー、マシュー・ベナムは2016年7月の書簡で、アカデミー閉鎖の理由を説明した。ロンドンには大規模な育成組織が多い。小さなクラブが選手を育てても、16歳で移籍されると見返りが小さいという悩みがあった。
EPPPも判断材料だった。EPPPは、イングランドの育成組織を設備、指導、教育、選手ケアなどで審査し、カテゴリーに分ける制度だ。上位区分を維持するには人材と施設が要る。ベナムはトップチームと新スタジアムへ集中する必要も挙げ、Bチームをより単純で魅力的な選択肢と表現した。
閉鎖は、若手育成の終了を意味しなかった。対象年齢と資源の置き方を変える決定だった。
ロバート・ローワンは、17~21歳をトップの隣へ置いた
2016年夏に始まったブレントフォードBは、17~21歳を中心とする独立したチームだった。同年代の固定リーグだけを回る形を取らず、海外クラブの若手や下部リーグの大人とも試合を組んだ。相手の年齢と競技環境を変え、トップチームへ進める選手を見極める仕組みだ。
戦略を担ったのがロバート・ローワンだった。スコットランド出身のスカウトを経て、20代でブレントフォードのフットボール部門を任された。2018年11月、診断されていなかった心臓疾患により28歳で亡くなった。
クラブは現在も、毎季の記念試合を「ロバート・ローワン・インビテーショナル」と呼ぶ。Bチームの名前が残った背景には、育成方法と、それを作った人物の記憶が重なっている。
31人のデビューが、500試合へ積み上がった
2024年12月、Bチーム経験者のトップチーム出場は合計500試合に達した。立ち上げから約8年で、公式戦デビューは31人。最多のマッズ・ルアスレウは137試合、次いでマルクス・フォルスが74試合、マッズ・ベック・セーレンセンが72試合だった。
500は所属人数や勝利数ではなく、Bチームを通った選手がトップチームの公式戦へ出た回数の合計だ。31人を一度ずつ起用しても届かない。ルアスレウらが繰り返しメンバーに入り、トップの戦力として残った時間も含んでいる。
Bチームはデビューの入口を作った。その後も起用が続いた選手が、合計を押し上げた。
再開したアカデミーは、Bチームへつながった
転機は2021年のプレミアリーグ昇格だった。リーグは全クラブに、2024-25シーズンまでにカテゴリー3以上のアカデミーを求めた。UEFA大会へ出るクラブ資格にもアカデミーが必要だった。英国のEU離脱後は、海外から18歳未満の選手を獲得する条件も厳しくなった。
ブレントフォードは2022-23シーズン、17歳以上を対象とするカテゴリー4から再開した。新しいアカデミーは既存のBチームへ選手を送る形で設計された。2026-27シーズンからはカテゴリー1となり、U9から試合機会が広がり、U18プレミアリーグとU21のプレミアリーグ2へ参加する。
クラブは2026年の認定発表でも、Bチームと独自の対戦計画を続けると明記した。幼い年代から育てる道を戻しつつ、17~21歳をトップへ近づける階段は壊さなかった。
