古い農家から83人の寮へ 「ラ・マシア」が建物を越えて残った理由
FCバルセロナの育成を語るとき、「ラ・マシア」という言葉が何度も出てくる。最初は1702年築の農家だった。1979年に若手の寮となり、2011年には別の街の新施設へ移った。いまは男子サッカーの寮生に限らず、女子や他競技を含む育成の考え方も指す。一つの名前に、建物、生活、育成方針が重なっている。
1702年の農家に、11人が暮らし始めた
呼び名の出発点は「マシア・デ・カン・プラネス」。カタルーニャ地方の農家を意味するマシアで、1702年に建てられた。カンプ・ノウの隣にあり、クラブ事務所として使われた時期もある。
1979年10月20日、建物は若手選手の寮として開いた。最初に暮らしたのは、後にトップチームへ上がるギジェルモ・アモールら11人。家族の家から毎日通えない若手へ、練習の外側にある生活の場を用意した。
名前が広まった理由は、育成組織全体がこの建物で練習したため、という意味ではなく、遠方から来た一部の選手が、ここで食べ、学び、休んだことにある。
2011年、寮はサン・ジュアン・ダスピへ移った
現在の寮は、バルセロナ市の西隣にあるサン・ジュアン・ダスピに立つ。クラブの総合練習場「シウタ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペール」の中で、2011年10月20日に開いた。正式名は「ラ・マシア-オリオル・トルト育成センター」。オリオル・トルトは長く若手発掘に携わったクラブスタッフだ。
建物は約6000平方メートル、5階建て。食堂、教室、個別指導室、医療や余暇のための部屋を備え、収容定員は83人とされた。83は建物に泊まれる人数を示す。育成組織全体の在籍者数とは役割が違う。
古い農家から離れても、ラ・マシアの名は新しい寮へ移った。場所より、若手の生活を預かる役割が名前をつないだ。
641人は、寮生の数を表していない
クラブは40周年を迎えた2019年、ラ・マシアの対象を641人の競技者と説明した。男子サッカーに加え、女子サッカー、バスケットボール、ハンドボール、フットサル、ローラーホッケーの育成年代を含む数字だった。
同じ資料は、ラ・マシアが以前は建物と男子サッカーの寮を指したが、現在は学業、人格、競技をまとめて育てる考え方へ広がったと説明している。641人は2019年時点でその方針が届く範囲、83人は2011年開設時の寮の定員だ。
数字の対象を分けると、「ラ・マシア出身」という言葉の幅も見える。寮で暮らした選手と、通いながら育成年代を過ごした選手が、同じ呼び名で紹介されることがある。
練習後の時間も、クラブが預かる
2018年のクラブ資料では、寮生は76人だった。教育担当者を24時間、年間を通して配置し、各選手へ個別の相談役を付けていた。学ぶ内容は、自己管理、スポーツのリスク、健康、文化の四分野。学校、寮、チームで起きることを一人の生活として支える仕組みだ。
元ラ・マシア寮生で、現在はアーセナル監督のミケル・アルテタは2025年の取材で、14~15歳からトップチームに近い競争と専門性を経験したと振り返った。同時に、寮ではシャビ、アンドレス・イニエスタ、ビクトル・バルデスらと暮らしたという。育成は練習メニューに収まらず、同世代と過ごす毎日の環境にも及ぶ。
1979年の農家、2011年の新しい寮、複数競技へ広がった育成方針。ラ・マシアという同じ名の中で、選手が住んだ場所と、クラブが預かった生活がつながっている。
