市350万ユーロ、州は融資返済、クラブ100万 トリノ旧本拠地を戻した「財団」の分担
トリノFCの旧本拠地フィラデルフィアは、黄金期の記憶だけでは再建できなかった。市、州、クラブ、サポーターが同じ財団に入り、資金の出し方と意思決定の役割を分けた。2017年に戻ったのは、セリエAの試合会場ではなく、練習と育成に歴史をつなぐ場所だった。
黄金期の本拠地は、やがて毎日の練習場になった
スタディオ・フィラデルフィアは、イタリア北西部トリノ市で1926年10月17日に開場した。1940年代に国内を席巻した「グランデ・トリノ」の本拠地として知られる。グランデ・トリノは、1949年のスペルガの航空事故で主力選手らを失った伝説的なチームだ。
公式戦での使用は1963年まで。その後はトップチームと育成部門の練習場として1993年まで使われた。試合会場としての役目を終えても、選手が日々働く場所として残っていた。
1997年の解体後、ファンも財団の内側へ入った
旧施設は1997年7月18日に取り壊された。再建の受け皿になったFondazione Stadio Filadelfiaは、競技場再建を目的とする財団だ。トリノ市、ピエモンテ州、トリノFCに加え、複数のサポーター団体が創設側に入った。
財団のFAQは、サポーターが創設者会議と理事会で管理役を持ち、投機的な事業へ変わらないよう見守る仕組みだと説明する。ファンは寄付を求められる外部の協力者だけではなく、施設の目的を守る側にも置かれた。
市は拠出、州は融資返済。同じ350万でも違う
財団のFAQによると、トリノ市は350万ユーロを拠出した。ピエモンテ州は同額の銀行融資を保証し、その返済を負担する仕組みを選んだ。トリノFCは、ウルバーノ・カイロ会長のMamma Cairo財団を通じて100万ユーロの拠出を表明した。
市と州には同じ350万という数字が並ぶ。ただし、市は直接の拠出、州は融資の保証と分割返済だ。金額だけを足して、同じ時期に同じ形で現金が入ったとは読めない。
寄付者の名前を、中央スタンドの座席へ
2015年10月、トリノFCは財団によるクラウドファンディングを案内した。資金の対象は、スポーツ区域の完成だけではない。サポーターが集まる空間と博物館を整える目的も掲げた。
寄付者には財団の限定品のほか、中央スタンドの座席へ名前を刻む選択肢が用意された。ファンクラブや企業向けにも、座席名や施設内掲示、特定区域の協賛など別の参加方法があった。再建の財源を広げると同時に、誰が戻す場所なのかを施設内へ残す仕掛けだった。
2017年に戻ったのは、試合会場ではなく日常
クラブ公式沿革は、2015年10月17日に礎石を置き、2017年5月25日に新しいフィラデルフィアを開いたと記録する。再建時の計画では、トップチームの練習と育成チームの試合に使う場所とされた。男子トップのセリエA公式戦は、市内のスタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノで行う。
旧本拠地を、そのままリーグ戦会場へ戻した事業ではない。試合の日だけ訪れる記念碑でもない。歴史の場所を、選手が日常的に使う施設へつなぎ直した。財団のFAQでは博物館工事は追加資金が集まった後の段階とされており、現在の完成状況はこの記事の資料だけでは断定しない。
