最終節の1点が、3クラブ統合の前提を守った FCユトレヒトの1970年
FCユトレヒトは、オランダ中部の都市ユトレヒトを本拠地とする。1970年7月1日、DOS、エリンクワイク、フェロックスという市内3クラブの統合で生まれた。ただし、新クラブが1部リーグから始めるにはDOSの残留が必要だった。統合交渉の最後に、リーグ最終節の1点が経営上の意味を持った。
3クラブを一つにした理由は、戦力だけではない
1960年代末、ユトレヒトにはDOS、エリンクワイク、フェロックスという三つのプロクラブがあった。別々の支持基盤と歴史を持ち、同じクラブではなかった。
地元メディアDUICは、60年代末に3クラブがいずれも大きな負債を抱えていたと伝える。統合は強い選抜チームを作る話である前に、ユトレヒトにプロサッカーを残す手段だった。
新クラブには「1部から始める」という前提があった
統合する3クラブのうち、1969-70シーズンに1部エールディヴィジで戦っていたのはDOSだった。元選手レオ・ファン・フェーンはNOSの取材に、その時点で最高位にいることが統合の条件だったと振り返っている。
ところがDOSは降格争いの中にいた。最終節の相手は、同じく残留を争うGVAV。現在のFCフローニンゲンの前身に当たるクラブだ。DOSが落ちれば、新クラブが1部の席を引き継ぐ前提も崩れる。統合は会議室だけで完結せず、最後の一試合にぶら下がった。
レオ・ファン・フェーンの得点で、DOSは残った
1970年の最終節、DOSはGVAVに1-0で勝った。得点者はファン・フェーン。FCユトレヒトの公式回顧も、彼をDOSをエールディヴィジに残した選手と記している。
交渉も財務整理も、三つの組織から人を移す作業も別に必要だった。それでも、1部から出発できるかという条件には、この勝利が直接答えを出した。6月18日に統合が確定し、7月1日にFCユトレヒトが発足した。
最初の28人は、三つのクラブの均等割りではなかった
最初のシーズン、リーグ34試合とカップ2試合で起用された選手は28人だった。DOS出身12人、エリンクワイク9人、フェロックス4人、新加入3人。三つの前身から同じ人数を取ったわけではない。
一方、監督のベルト・ヤコブスは直前にフェロックスを2部へ昇格させていた。最多の選手を送ったのはDOS、指揮官を送ったのはフェロックスだった。別々のクラブから、選手とスタッフを違う形で持ち寄った。最初のリーグ戦は13勝7分14敗の9位で終えた。
選手が混ざっても、支持者の気持ちは同時にはそろわない
NOSの50周年記事によると、DOSとフェロックスの支持者は比較的早く新クラブへまとまったが、エリンクワイク側がなじむまでには時間がかかった。クラブ名を一つにしても、地域の記憶や週末の習慣まで同じ日に変わるわけではない。
FCユトレヒトの公式史は、発足以来エールディヴィジで戦い続けていると記す。最終節の1点は、その出発点となる席を守った。ただし統合の歴史は、残留と発足日だけでは終わらない。三つのチームを一つのクラブとして受け入れる速度が、支持者ごとに違ったことも残っている。
