芝を傷めた庭師たちに、男爵は別の土地の賃料を出した ファースト・ヴィエナの1894年
オーストリア最古のサッカークラブとされるファースト・ヴィエナFCは、競技場から始まったわけではない。舞台はウィーンのロスチャイルド家の庭園だった。英国人庭師が同僚へ競技を教え、芝を傷めると、庭園主ナサニエル・ロスチャイルドはプレーを禁じた。だが追い出して終わらず、別の土地の賃料と活動費を負担した。
英国人4人とオーストリア人4人が、庭園で試合をした
ファースト・ヴィエナは、オーストリアの首都ウィーン北部デーブリングを本拠とする。クラブ公式史によると、1890年代初め、英国人庭師ジェームズ・ブラックが同僚にサッカーのルールを教えた。オーストリア人の主任庭師の息子フランツ・ヨリも、英国滞在から戻ったばかりだった。
二人はロスチャイルド男爵の庭園で、英国人4人とオーストリア人4人による非公開試合を組んだ。競技を持ち込んだ側と、そこで覚えた側が同じ人数で向かい合った。問題は、その試合で男爵が大切にしていた芝を傷めたことだった。
プレーは禁止されたが、活動費は止められなかった
庭園主のナサニエル・マイヤー・フォン・ロスチャイルドは、庭園内でのプレーを禁じた。一方でクラブ公式史は、男爵がクーグラーヴィーゼという別の土地の賃料を負担し、練習と試合の費用も出したと記す。その支援を受け、若者たちはクラブ設立を決めた。
1894年8月22日、ファースト・ヴィエナは団体法上の認可を受けた。ロスチャイルドと、同家の銀行で総支配人を務めたユリウス・シュスターは後援者として名簿に載った。禁止が競技を消したのではない。庭園の外で続ける費用まで用意されたことで、遊びが組織へ変わった。
青と黄は確かだが、騎手用シャツは伝承として残る
クラブカラーの青と黄は、ロスチャイルド家の紋章色に由来する。ウィーン・ユダヤ博物館も、現在のクラブが同家の青と黄を受け継いでいると説明する。2022年には一族の子孫がホーエ・ヴァルテを訪れ、クラブとの関係を確かめた。
初期の選手が男爵の厩舎にあった騎手用シャツを譲られたという話もある。ただし、ロスチャイルド側の資料は『そう言われている』と表現する。紋章とクラブカラーの関係は複数資料で重なるが、実物のシャツがどのように渡ったかは同じ確度では語れない。
一日の認可差と、0-4の初戦
同じ1894年、ウィーン・クリケット・アンド・フットボール・クラブも規約を提出した。認可はファースト・ヴィエナが8月22日、相手が翌23日。この一日の差が、クラブを『オーストリア最古』とする制度上の根拠になった。
11月15日、クーグラーヴィーゼで約300人を前に最初の公式戦が行われた。ファースト・ヴィエナは、全員が英国人だった相手に0-4で敗れた。最初の物語を決めたのは勝利ではない。庭園の外に場所を借り、認可を一日早く受け、負けても次の試合を続けられる組織になったことだった。
