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外国人は認めても、バスク外のスペイン人はまだ呼ばなかった ソシエダとオルドリッジの1989年

レアル・ソシエダは1989年、リヴァプールからジョン・オルドリッジを獲得した。クラブ公式が『現代で最初の外国人』と呼ぶ移籍だ。ただし、バスク出身者以外を一度に広く受け入れたわけではない。外国人は認めても、バスク地方外のスペイン人はまだ獲らない。そんな折衷案から始まった。

最初から外国人がいなかったわけではない

レアル・ソシエダは、スペイン北部のバスク自治州サン・セバスティアンを本拠とする。初期には外国人選手も在籍したが、クラブ公式史によると1960年代以降は途絶え、長くバスク出身者を中心にチームを作った。

その枠のまま1980-81季と81-82季にリーグを連覇した。だが1980年代後半になると主力が去り、獲得できる選手の範囲も狭かった。イニャキ・アルキサ会長の理事会は、1989-90季を前に方針変更を議論した。

外国籍選手だけを認めた、1989年の折衷案

クラブ公式史は、激しい議論の末にサポーターが変更を受け入れたと記す。ただし、公開資料から投票の有無や対象者までは分からない。独立系媒体These Football Timesによると、最初の折衷案は外国籍選手を認める一方、バスク地方外のスペイン人は引き続き獲得しないというものだった。

アイルランド代表のオルドリッジは、英国リヴァプール生まれでスペイン国籍ではない。この区分なら、新しい方針に入る。『バスク限定をやめた』という一言より、どの境界を先に動かしたかを見る方が実態に近い。

初会見で『ファンの誰も望んでいない』と問われた

オルドリッジは1989年9月24日のオサスナ戦でデビューした。クラブの記録では2季で公式戦75試合40得点。最初のシーズンはリーグ28試合で16得点、2季目は35試合で17得点を挙げた。

成績だけを見れば、狭い市場を広げる判断はすぐに結果へつながった。ただし本人は2025年の取材で、最初の記者会見で『ファンの誰も望んでいない』と問われ、練習場には帰れという落書きもあったと振り返っている。移籍が成立したことと、地域で受け入れられることは同時ではなかった。

一人の移籍で、育成の看板は消えなかった

オルドリッジは外国人加入の入口になったが、ソシエダは地元育成を捨てなかった。クラブ公式史は、1989年の変更後も育成組織スビエタを土台にしてきたと説明する。

この移籍が変えたのは、バスクとの関係そのものではない。地元育成を中心に置きながら、足りない部分をどこまで外から補うかという線だった。最初は外国人だけに開き、国内の境界は残した。その不均衡な一歩が、方針転換の難しさをよく表している。

公式Xの投稿

Real Sociedad — John Aldridge at Anoeta
参考記事Real Sociedad — Official club historyReal Sociedad — John Aldridge player archiveThese Football Times — The 1989 recruitment compromiseFourFourTwo — Aldridge on his first reception