「Dundee City」を登記しても使えなかった 隣クラブとの交渉がUnitedを生んだ1923年
ダンディー・ユナイテッドは1923年、「Dundee City」という会社名まで登記していた。それでもピッチで使った新しい名は「United」だった。同じ街のダンディーFCが、Cityでは相手が街の代表に見えると反対したからだ。改名の前には、クラブが消えかねない危機とリーグ復帰があった。
1909年、アイルランド系住民のクラブとして始まった
ダンディーは、スコットランド東部のテイ川沿いにある都市だ。1909年5月24日、街のアイルランド系住民を背景にダンディー・ハイバーニアンが設立された。名前の手本は、首都エディンバラのハイバーニアンだった。スコットランド・フットボール博物館は、同じ系譜のダンディー・ハープが消滅したことも創設の背景に挙げる。
最初の試合は同年8月18日。エディンバラのハイバーニアンを、約7000人が集まったタナディス・パークへ迎え、1-1で引き分けた。タナディスは旧クレピントン・パークを改称した本拠地である。クラブの名が変わっても、この場所は変わらなかった。
7勝しかできず、リーグへ戻れなければ存続が危うかった
1922-23季、ダンディー・ハイバーニアンは1部クラブの控えチームが多いアライアンス・リーグで42試合を戦い、勝利は7試合だった。観客も減り、取締役ウィリアム・ハッチンソンは、スコットランド・リーグ2部への申請が拒まれればクラブは立ち行かないと訴えた。
取締役たちは他クラブへ働きかけ、投票の2回目でイースト・スターリングシャーを上回り、1923-24季の2部参加を得た。改名は単独のブランド変更ではない。リーグへ戻り、クラブを存続させる動きと同じ年に進んだ。
8月にCityを登記し、10月にUnitedで合意した
最初の新名称はDundee Unitedではなかった。地元紙The Courierが当時の議事録や新聞をたどった記事によると、Dundee City FCは1923年8月に英国商務庁へ登記された。会社名も1925年6月までDundee City Athletic Club Ltdのままだった。
しかし、1893年創設の隣クラブ、ダンディーFCが反対した。Cityでは、ハイバーニアン側が街全体の代表に見えるというのが異議の理由だった。交渉の末、ダンディーFCはDundee Unitedなら異議を唱えないと伝えた。
Unitedという名称は10月17日に承認された。ダンディー・ハイバーニアンとしての最終戦は20日。27日のダンバートン戦が新名称での初戦になった。Cityは登記簿に残り、Unitedが競技場へ出た。
2023年、クラブは消した緑をユニフォームへ戻した
改名に合わせ、チームカラーも緑と白から黒と白へ変わった。現在のタンジェリン色を初めて着たのは1967年、米国の大会へ「ダラス・トルネード」として参加した時だった。一方、本拠地は1909年からタナディス・パークのままである。
改名100年の2023年、クラブは初期の緑と、1913~15年に使った白い山形を組み合わせたヘリテージ・キットを発表した。クラブは1923年の改名を、出自を越えて支持を広げる転換だったと説明する。
ただし、これは現在のクラブによる位置づけでもある。当時の資料から直接たどれるのは、存続危機、リーグ復帰、Cityへの異議、Unitedでの合意という順番だ。古い色を戻した一枚は、その複雑な改名を現在のクラブがどう語るかを表している。
