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公式史は「Rossbach」、公文書調査は「Rorschach」 ボローニャの赤青を運んだ学校の住所

ボローニャFCの赤と青は、初代主将アッリーゴ・グラーディがスイスの学校で着ていたシャツに由来する。クラブ公式史は学校を「Rossbach」と記す。ところが、公文書を調べた地元の歴史団体が示した住所は「Rorschach」だった。似た二つの綴りから、色の由来と学校の場所を分けて考える。

赤青は、初代主将が着た四分割のシャツから

ボローニャFCは、イタリア北部の学術都市ボローニャを本拠とする。クラブは1909年10月3日、市内のビアホールで創設された。

公式史によると、初代主将アッリーゴ・グラーディは、留学したスイスの学校の赤青シャツを着て練習へ来た。シャツは赤と青を四つに分けた柄で、その二色が新クラブの色になった。1910年冬に縦縞へ変わっても、赤青は残った。

公式史はRossbach、公文書調査はRorschach

ボローニャ公式の英語版は、学校を「Schoenberg in Rossbach」と書く。FCバルセロナの公式記事にも同じ地名が登場する。だが、ボローニャの歴史を調べる団体Memoria RossoBluは、該当する学校をRossbachでは確認できなかった。

調査が行き着いたRorschach(ロールシャッハ)は、スイス北東部、ボーデン湖畔の町だ。母音が一つ増えるだけだが、二つは別の綴りである。学校名の由来と実際の所在地を調べると、この差を無視できない。

州立公文書の登録に、Wiget校の住所が残る

Memoria RossoBluは、ザンクト・ガレン州立公文書館の登録に「Wiget am Schoenberg di Rorschach」とあると報告している。グラーディが通ったのは、RorschachのChurerstrasseにあったWiget校だという。

学校は1872年に設けられ、複数の建物、運動場、体育館を備えていた。1907年に敷地が鉄道用地として収用され、1909年に経営が移った。その後、別の場所でHeller Institut Wiget auf Schönberg bei Rorschachと名乗った。後年の短いクラブ史では、学校名に含まれるSchönbergと所在地のRorschachが圧縮され、Rossbachという表記になった可能性がある。

学校がサッカーと結びついていたことは別資料にも残る

この学校とサッカーの関係は、ボローニャ側だけが伝えているわけではない。ザンクト・ガレン=ボーデン湖観光局の公式史は、1879年創設のFCザンクト・ガレンが初めて対戦した外部の相手を「Schönberg Institute」としている。

この記録だけで、グラーディが持ち帰ったシャツの柄までは証明できない。ただ、当時の学校がスイス初期サッカーの一つの舞台だったことは分かる。ボローニャの色の奥に、国境を越えて広がった学校スポーツの流れがある。

色の由来は残り、住所だけが詳しくなった

ボローニャ公式史と公文書調査が共通して伝えるのは、グラーディがスイスの学校で着た赤青シャツを新クラブへ持ち込んだことだ。違うのは学校の住所である。

当時のシャツ現物や、色を決めた創設会合の議事録は公開資料で確認できない。また、Rossbachという表記がいつ定着したかも特定されていない。だから色の伝承まで否定するのではなく、後の調査が学校をRorschachのWiget校へ絞り込んだ、と読むのが自然だ。

参考記事Bologna FC — Club history and the origin of the coloursFC Barcelona — The red-and-blue sister clubsMemoria RossoBlu — Research into the Wiget schoolSt Gallen-Bodensee — FC St Gallen historySoccer & Society — Swiss schools and football history