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創設帳簿にイタリア人の名が現れるのは5年後 ジェノアが港町で開いたサッカーの入口

クラブ名が今も英語なのは偶然ではない。ジェノアCFCは1893年、イタリア北西部の港町ジェノヴァに暮らす英国人のスポーツクラブとして始まった。保存された帳簿にイタリア人とスイス人の会員名が現れるのは1898年。国内最初の選手権へ進むまでに、クラブの内側も変わっていた。

港町には、英国人の暮らしが先にあった

19世紀末のジェノヴァでは、港、商業、工業を通じて英国人の社会が形づくられていた。ジェノヴァ市立博物館は、英国人が街の経済や文化に関わり、その日常の延長でスポーツも持ち込んだと説明する。ジェノアの創設をサッカーだけの出来事として見ると、港町にあった人の往来が抜け落ちる。

最初の帳簿に「Football」はない

ジェノヴァ市のジェノア博物館が紹介する創設帳簿には、「Genoa Cricket & Athletic Club」と1893年9月7日の創設日が記される。場所は、当時英国領事館があったパレストロ通り10番地4。帳簿は会費を収入、用具や試合運営費を支出として記す複式簿記の形で続く。最初のクラブ名にFootballはなく、後から試合収入が加わったことまで一冊の中で追える。

石炭船を診る医師が、競技の幅を広げた

英国人医師ジェームズ・リチャードソン・スペンスリーは1896年、港へ入る英国の石炭船の乗組員を診るためジェノヴァへ来た。クラブに入り、フットボールを活動へ加えるよう提案する。旧市街の貧しい住民を無料で診療し、治療費を渡すこともあったという。サッカーを運んだ人物は、船員と街の住民の双方に接する医師でもあった。

イタリア人とスイス人の名が出るのは1898年

創設帳簿で、イタリア人とスイス人の会員名が初めて現れるのは1898年だ。市立博物館は、スペンスリーをイタリア人会員の受け入れを進めた中心人物と位置づける。同じ年、ジェノアはイタリアサッカー連盟の前身をつくった7クラブの一つになった。1893年から5年。英国人のスポーツクラブは、港町の外へ対戦相手を求める国内競技の担い手にもなった。

最初の国内選手権は、一日で終わった

イタリアサッカー連盟の前身FIFは1898年3月に発足し、5月8日にトリノで最初の選手権を開いた。準決勝から始まる勝ち抜き戦で、決勝まで同じ日に行われ、ジェノアが優勝した。創設時の帳簿にはなかったFootballが、5年後にはクラブ名の外側に連盟と大会を生んでいた。英国人が港へ持ち込んだ遊びが、国内のクラブ同士を結ぶ競技へ変わった時期だった。

参考記事Genoa municipal museums — club historyGenoa municipal museums — constitutive actGenoa municipal museums — James SpensleyGenoa municipal museums — the British communityItalian Football Federation — the first championship