北アイルランドの街から、共和国のリーグへ デリー・シティが13年かけて戻った場所
デリー・シティは、英国を構成する北アイルランドの街に本拠を置きながら、アイルランド共和国側のリーグで戦う。珍しい越境クラブとして紹介されがちだが、始まりは制度上の工夫ではない。紛争期に本拠地で試合をできなくなり、リーグから離れた街が、13年後にシニアサッカーを取り戻した結果だった。
二つの「アイルランド・リーグ」は別の大会
ここが少しややこしい。アイリッシュ・リーグは北アイルランドの大会で、リーグ・オブ・アイルランドはアイルランド共和国の大会だ。デリー・シティは1928年に創設され、翌1929年に前者へ入った。本拠地ブランディウェルはデリー市が所有する競技場で、クラブと街の結びつきは最初から場所にも表れていた。
本拠地を離れると、観客も収入も離れた
北アイルランド紛争が深まった1971年、治安上の判断からブランディウェルでの開催が認められず、クラブはデリーから離れたコールレーンで「ホームゲーム」を行った。公共交通が乏しく、情勢も不安定だったため、観客は減った。クラブ公式史は、入場料収入への打撃を「壊滅的」と表現している。
戻る申請は通ったのか
クラブはブランディウェルへの復帰を求めた。警察にあたる王立アルスター警察隊の支持もあったが、他クラブの投票で退けられ、1972年にリーグを離れた。その後はジュニア年代の大会で活動し、10年以上にわたり毎年のように復帰を申請したが認められなかった。試合をする組織は残っても、街が目指せるシニアクラブの席は空いた。
1985年、国境の反対側から席を得た
転機は、共和国側のアイルランドサッカー協会へ加盟を働きかけたことだった。クラブ公式史によれば、UEFAとFIFAの許可も得て、1985年に新設された2部へ参加した。9月8日のリーグカップ、ホーム・ファーム戦が新しい出発点になり、3―1で勝った。1972年から13年。戻ったのは以前のリーグではなく、ブランディウェルでシニアの試合が続く日常だった。
「越境」だけでは、この選択を説明しきれない
2019年の取材で、元クラブ幹部ジム・ロディは、シニアクラブの復帰が、市民が自分たちの街を見る目を変えたと振り返った。1985年の所属変更を政治的な帰属意識だけで説明すると、本拠地を失い、復帰投票でも道を閉ざされた13年が抜け落ちる。現在の越境は、ブランディウェルで試合を続けるために見つけた出口でもある。
