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食料品店の店先の緑が、スタジアム名まで残った サンテティエンヌとカジノ社

フランスのASサンテティエンヌが「緑の人々」と呼ばれる起点は、食品小売大手カジノ社にある。前身は同社の従業員クラブだった。緑と白は会社の色で、本拠地には創業者ジョフロワ・ギシャールの名が残る。ただし、現在の競技場を会社が所有しているわけではない。

前身の誕生は、1919年と1920年の間

サンテティエンヌは、フランス中東部の旧工業都市だ。クラブ公式は、カジノ社創業者ジョフロワ・ギシャールが1919年、従業員の余暇のために総合スポーツクラブをつくると決めたと説明する。カジノ社の公式史は、Association Sportive du Casinoの誕生を1920年とする。二つの公式ページは、決定と組織化の境目を説明していないため、創設年を一つにそろえない。1933年、息子ピエール・ギシャールがプロのASサンテティエンヌを発足させ、2部リーグへ参加した。

なぜ緑と白だったのか

カジノ社の公式史は、前身チームが会社の色である緑と白を着たと記す。クラブ公式博物館「ミュゼ・デ・ヴェール」の教材によると、最初のカジノ店舗のひさしと雨戸が緑だったため、ギシャールは会社とチームの色に選んだ。クラブの愛称「レ・ヴェール」は、フランス語で「緑の人々」。配色は、会社時代から持ち越された。

購入した4万1000平方メートル、貸した3万8000平方メートル

1929年末、カジノ社は従業員クラブのための新競技場を考え始めた。市公文書館によると、1930年5月、ジョフロワ・ギシャールと不動産会社Adosiaが約4万1000平方メートルの土地を取得した。カジノ社の記録では、このうち3万8000平方メートルをクラブへ年1フランで貸した。数字が違うのは、購入した土地と貸し出した範囲が別だからだ。競技場は1931年9月13日に開き、800席のスタンドと約1万人を受け入れる斜面を備えていた。

1965年、所有は市へ移った

競技場は拡張費を必要とし、1965年6月14日にサンテティエンヌ市が取得した。市はクラブへ30年間、年1フランで貸すと約束した。2001年からは、周辺自治体でつくるサンテティエンヌ・メトロポールが管理している。競技場は市有のままだ。名前と歴史はカジノ社につながるが、現在の所有関係まで会社施設と見るのは違う。

前身だけでは終わらなかった関係

ASサンテティエンヌとカジノ社は、2024-25季にも公式パートナー契約を更新した。支援先は男子だけでなく女子プロチームへ広がり、女子のユニフォームにもカジノ社のロゴが入った。競技場の所有は市へ移っても、会社とクラブの関係は別の形で続いた。緑と白、創業者の名、現在の協賛は、それぞれ異なる時代のつながりを示している。

参考記事AS Saint-Étienne — historic Casino partnershipMusée des Verts — the origin of the greenGroupe Casino — group historySaint-Étienne archives — Stade Geoffroy-GuichardSaint-Étienne archives — from company club to professionals