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自分の名と米国のクラブを一つにした カイザー・チーフスが二つの大陸を背負う名前

南アフリカのカイザー・チーフスは、創設者カイザー・モタウングの名前だけを掲げたクラブではない。「カイザー」は本人から、「チーフス」は米国で所属したアトランタ・チーフスから取った。クラブ名には、ソウェトからアトランタへ渡り、戻って新チームをつくった一人の選手の経路が入っている。

16歳でオーランド・パイレーツのトップへ

モタウングは、ヨハネスブルク南西部に広がるソウェトのオーランド・イーストで育った。16歳でオーランド・パイレーツのトップチームに入ったと、カイザー・チーフスの公式史は記す。現在のチーフスにとって、パイレーツはソウェト・ダービーを戦う最大のライバルだ。創設者の選手生活は、その相手側から始まった。

1968年、アトランタで新人賞

1968年、モタウングは米国のアトランタ・チーフスへ渡った。北米サッカーリーグのNASLが始まった年だ。5月27日のマンチェスター・シティ戦で途中出場し、初得点。チームは3―2で勝った。その年、アトランタはNASLを制し、モタウングは新人賞を受けた。アトランタ・ユナイテッドも、同市最初のプロサッカークラブと1968年の優勝を公式番組で記録している。

公式Xの投稿

Kaizer Chiefs — Atlanta Chiefs and Kaizer Motaung

追放された監督と3選手が、「カイザーXI」をつくった

1969年末、オーランド・パイレーツで内部対立が起きた。クラブ公式史によると、監督エワート・ネネと、ラサ・モクゴアトレン、ムソミ・コーザ、ゼロ・ジョンソンの3選手が追放された。モタウングが帰国すると、彼らは各地で親善試合を行う「カイザーXI」を組織した。観客から新クラブを求める声が高まり、臨時チームが母体になった。

1970年1月7日、KaizerとChiefsをつないだ

新クラブは1970年1月7日、ソウェトのオーランド・ウェストで正式に発足した。名前はモタウングのファーストネーム「Kaizer」と、かつての所属先「Chiefs」を組み合わせた。米国クラブの支部ではない。モタウングが持ち帰った名前の一部と、パイレーツを離れた仲間たちのチームが、南アフリカの新しいクラブになった。

英語のChiefsを、ズールー語で「アマコシ」と呼ぶ

サポーターはクラブを「アマコシ」と呼ぶ。ズールー語で「首長たち」や「王たち」を意味し、英語のChiefsに重なる愛称だ。米国由来の単語は、南アフリカの言葉で呼び直されて定着した。現在もクラブ公式史は、モタウング一人ではなく、彼と同じ時代にクラブを支えた創設世代へ敬意を示している。

参考記事Kaizer Chiefs — club historyKaizer Chiefs — chairman Kaizer MotaungSouth African History Online — Kaizer MotaungAtlanta United — Atlanta Chiefs, 1967–1972City of Johannesburg — Kaizer Chiefs FC