教会の青年会から始まった ハイバーニアンが移民の若者に渡したボール
スコットランドの古都エディンバラにあるハイバーニアンは、1875年、アイルランド系住民が多く暮らすカウゲートで生まれた。「ハイバーニア」はアイルランドのラテン語名だ。教会の青年会がつくったチームには、若者を飲酒や軽犯罪から遠ざけ、街の中に居場所をつくる役目もあった。
19世紀のカウゲートは「リトル・アイルランド」
カウゲートはエディンバラ旧市街の谷底を通る地区で、19世紀にはアイルランドから来た住民が多く暮らし、「リトル・アイルランド」と呼ばれた。聖パトリック教会の記録には、複数の家族が衛生や採光の乏しい部屋を共有し、英語を話せない住民もいたとある。
1865年、ハナン司祭が青年会を開いた
アイルランド出身のエドワード・ジョセフ・ハナン司祭は、1861年に聖パトリック教会へ赴任した。1865年にはカトリック青年会の支部を開き、図書室や読書室、遊戯室を整えた。スコットランド国立記録院のサービス「Scotland’s People」は、青年を飲酒や軽犯罪から遠ざける狙いがあったと説明している。
1875年8月6日、21歳のウェラハンが初代主将へ
1875年8月6日、ハナン司祭は青年会によるクラブ創設を認めた。中心になったマイケル・ウェラハンは1854年生まれで、当時21歳だった。彼が初代主将となり、クラブはアイルランドの古称からハイバーニアンと名づけられた。緑と白の横じまを着て竪琴を印にし、同年12月25日にハーツとの初試合を行った。
協会への加盟を阻まれても、試合収入は慈善事業へ
ジョン・ケリーの研究は、アイルランド系カトリックに参加を限った初期方針のため、ハイバーニアンが地元やスコットランドの協会への加盟、他クラブとの試合で抵抗を受けたと整理する。それでも活動は地域の内側だけで完結しなかった。聖パトリック教会は、試合の入場料が各地の慈善事業へ寄付されたと記している。
150周年のシャツに、緑と白の横じまが戻った
ハイバーニアンは1887年、スコティッシュカップを初めて制した。創設150周年の2025年には、1876年のチーム写真をもとに緑と白の横じまを記念ユニフォームへ戻した。現在のクラブが創設時の宗教的な参加条件を復活させたわけではない。ウェラハンたちが最初に着た柄を、クラブ史の出発点として選んだ。
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