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クラブ名、リーグ、記事種別から、読みたい一本へ。トップには載せきれない全記事をまとめています。

276 件の記事

全記事にクラブ・リーグタグ付き
276

2000点超を持ちながら、常設できなかった ウェールズ初の全国サッカー博物館が街の博物館と同居する理由

2026年9月25日、ウェールズ北東部の街レクサムに「Football Museum of Wales and Wrexham Museum」が開く。入場は無料で、開館は午前10時の予定だ。サッカー部門の核になるウェールズ・フットボール・コレクションは、2000年から集めてきた2000点超。資料はすでにあったのに、全体を常設できる場所がなかった。新館はサッカーだけの箱を別に建てず、街の郷土博物館と一つの歴史的建物を分け合う。

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274

女子トイレ200クラブ増はFAIの2029年目標 更衣設備150、利用しやすいトイレ200

ピッチを確保したのに、女子チームがトイレを使えない。2025年にダブリンのNewlane FCで報じられた問題だ。アイルランドサッカー協会(FAI)は2026〜29年戦略で、女子トイレを備えるクラブ200増、シャワー・更衣設備150増、利用しやすいトイレ200増を目標に掲げた。三つともクラブ数で、完了件数ではない。

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273

年齢上限は25歳。それなら自分たちの練習を 10人から始まった「オールド・ガールズ」

イングランド南東部ウェスト・サセックス州の街クロウリーで、2015年に女子の練習グループ「クロウリー・オールド・ガールズ(COGS)」が始まった。きっかけは、50歳を目前にしたキャロル・ベイツが女子向け教室の案内を見つけ、参加できる年齢を尋ねたことだった。答えは25歳まで。そこで諦めず、大人向けの別枠を提案した。最初に集まったのは10人。若い選手を上へ送る育成組織ではなく、子どもの頃に始められなかった人と、長く離れていた人の入口をつくった。

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272

直接たずねる前に静かな場所を、答えの後に支援先を 自殺予防をクラブの11項目へ

誰かの様子がいつもと違う。英国の新しい手引きは、その人へ「自殺を考えている?」と直接たずねてよいと書く。質問の前には静かな場所と時間を取り、答えの後にはクラブの責任者や専門支援へつなぐ。2026年9月10日に公開された「On Your Side」は、会話をGOALSの5段階、クラブの準備をStarting 11の11項目に分けた。FAとプレミアリーグは導入を表明している。ただし、9月12日時点で変更する規程や研修人数は公表していない。

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271

1957年の手製横断幕から2025年のスマホ写真へ 女性ファン22人が残した観戦の記録

1957年にウェンブリーへ持ち込まれた手製の横断幕と、ニューカッスル・ユナイテッドがリーグカップを制した2025年のスマートフォン写真が、同じ展示に並んだ。「Away From Home」が集めたのは、ニューカッスルとサンダーランドを応援する女性22人の声だ。勝敗の記録からこぼれやすい、初観戦、応援道具の作り手、観戦を休んだ時期まで残している。展示は2026年春にサンダーランドのビーコン・オブ・ライトで公開された。現地の案内期間を過ぎた9月12日現在も、オンライン版を読める。

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270

AIGはサルフォード女子6部への出資で基本合意 ジル・スコットが担当するトップと育成

ジル・スコットがサルフォード・シティ女子で担当するのは、トップチームとアカデミーの技術プログラムだ。監督として試合を指揮するとは発表されていない。同じ2026年9月10日、保険会社AIGは女子チームの「最大の少数持分投資家」になることで基本合意した。AIGはすでにサルフォード・シティFC全体の最大株主で、競技場名、試合用シャツ、練習着にも社名を出している。今回増えるのは女子部門への持分だが、比率、金額、取得先となる法人、完了日は公表されていない。

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269

1250台は隣の交通拠点、3800戸は周囲の街づくり トルロ「競技場地区」はどこまで決まったか

トルロ・シティが9月10日に発表した「Milestone Project」には、新クラブハウス、増席、accommodationと記された施設、地域センター、3Gピッチ、医療、店舗などが並ぶ。同時に語られる1250台と3800戸は、この構想が新設する数ではない。1250台は隣接する既存のパーク・アンド・ライド、3800戸は周囲で進むラナース・ガーデン・ビレッジ全体の住宅計画だ。クラブが示したのは事業の方向で、費用、追加座席数、accommodationの用途と戸数、着工時期はまだ公表されていない。

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268

代表招集は年5回へ減ったのに、1月にはクラブW杯 欧州リーグがEUへ申し立てた理由

女子代表へ選手を送り出す期間は、2026年から年5回になった。前年までの6回より一つ少ない。FIFAは移動と国内リーグの中断を抑えるためだと説明する。それでも9月8日、European Leaguesは女子日程をEUの競争当局へ持ち込んだ。5回の窓には規則上、最大13試合を置ける。2028年1月には新設のクラブワールドカップも入る。招集の機会は減ったが、欧州クラブが選手を手放す試合数や期間は同じようには縮まらない。

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267

欧州戦全試合で選手の背中へ、寄付は店頭印刷の純利益 マンU財団ロゴの仕組み

マンチェスター・ユナイテッドがサバに4-0で勝った9月10日のチャンピオンズリーグ初戦。選手のユニフォーム背面には、マンチェスター・ユナイテッド財団のロゴが入った。クラブはこの2日前、2026-27シーズンの欧州戦全試合でロゴを掲出すると発表している。ファン向けには、新品か手持ちのユニフォームへ同じロゴを追加する店頭企画を用意する。財団へ渡るのは、その印刷で生じる純利益だ。選手用の掲出と、寄付金を生む店頭印刷は別の手順になっている。

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266

開幕後も9月16日まで、対外試合は10試合 PFAが無所属選手を12週間集める理由

多くのクラブがリーグ戦へ入った9月も、無所属選手の練習は続いている。イングランドとウェールズの選手会PFAは2026年、契約が切れた会員向けの合宿を10週から12週へ延ばした。期間は6月29日から9月16日。9月12日時点ではまだ終わっていない。対外試合と身体データを次の所属先探しにつなげ、女子1部WSLと2部WSL2には初の専用日程を置いた。延長した2週間は、開幕までに契約が決まらなかった選手のためにある。

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265

15歳の冬に退団、17〜21歳なら支援は最低3年 英アカデミーで年齢が分ける「その後」

同じアカデミー退団でも、16歳と17歳では、その後に約束される支援が違う。イングランドでは多くの選手が15〜16歳の冬、学校の主要試験GCSEを前に、奨学契約へ進むか退団するかを知らされる。プレミアリーグが最低3年間の支援を定めているのは、U17〜U21のプロ育成段階で退団した選手だ。U16には別の移行プログラムがある。退団を告げられる時期から、誰がどの支援を受けられるかまで、年齢の境目をたどる。

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264

FIFAが承認しても、6月の2試合は非公式 アフガン女子が待つ「公式戦の一歩目」

アフガニスタン女子選手は、国内協会の登録がなくてもFIFA大会の公式戦へ進める資格を得た。ところが、承認後の2026年6月4日と8日にクック諸島と戦った2試合は、FIFAがあらかじめ「公式国際試合ではない」と明記していた。結果は0-1、0-3。4月28日の規則改正が解決したのは、国内協会が女子代表を登録できない時に、誰が代わってチームをつくれるかという問題だ。公式戦を実際に組む仕事は、9月12日時点でまだ残っている。

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263

薬代は対象外、保存料は5年分 スペイン代表の卵子凍結支援でRFEFが払う範囲

卵子を採取して凍結する費用は連盟が払い、薬代は本人が負担する。保存料は採取から5年分までだ。スペインサッカー連盟(RFEF)が2026年9月8日に発表した支援は、女子代表なら招集歴、審判なら担当リーグで対象者を区切る。体外受精なども協定に入るが、同じ費用負担ではない。誰が何を使え、連盟の支払いがどこまで続くのかを分けると、この制度で変わることと、クラブ側に残る課題が分かる。

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262

約8000人に入場検査5レーン、合同会議は3日前 オールドファームの遠征席が0になった理由

約8000人を受け入れた3月のアイブロックスには、入場前の検査レーンが5本しかなかった。全関係者が集まる最初の会議は試合3日前。9月13日にレンジャーズとセルティックが同じ競技場で再び対戦する前に、両クラブは今季残りの直接対決をホームサポーターだけで行うと決めた。合意済みだった5%の遠征席は0へ。独立調査が問題にしたのは席数に加え、チケット、入場経路、警備を一つの計画にできなかったことだった。

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261

契約満了の退団も法律上は「解雇」 2027年、在籍6カ月からクラブに必要な手続き

シーズン最終日、契約書に書かれた終了日が来て選手が退団する。クラブが途中で解任した場面には見えないが、固定期間契約を更新しないことも雇用法上の「解雇」に数えられる。2027年1月1日から、イングランド、スコットランド、ウェールズでは、通常の不当解雇を争う勤続要件が原則2年から6カ月へ短くなる。雇用契約を結ぶ選手や監督について、クラブは終了日を確認するほかに、残さない理由と手続きも用意することになる。

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260

約200トンを取り除き、6週間で23ミリへ パレスが芝を夏に作り直す方法

ブルース・エリオットの2026年の夏は、芝を伸ばす前に約200トンを取り除く作業から始まった。クリスタル・パレスでグラウンドと施設を統括するエリオットは、6月10日、本拠地セルハースト・パークのピッチ更新に入った。新しい砂120トンへ種をまき、約2000万本の人工繊維を縫い込む。当時の予定は完成まで6週間。8月の2026-27シーズン開幕に合わせ、試合時の23ミリへ育て直す工程だった。

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259

ステーブリーが25.1%で合意した後、既存株主が動いた ウェストハム46%の決まり方

アマンダ・ステーブリーは2026年7月、デイビッド・ゴールド家が持つウェストハム株25.1%を買うことで合意していた。ところが9月4日、クラブが単独最大株主になると発表したのは、すでに27%を持っていたダニエル・クレティンスキーだった。外部への売却案を受け、既存株主が優先購入権を使ったからだ。合意後の持分はクレティンスキー46%、デイビッド・サリバン40%と報じられた。クレティンスキーは最大株主になるが、過半数には届かない。

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258

女子だけ過半数株主が交代、本拠地はそのまま ブリストル新会長ローレン・ホリデーの仕事

女子ワールドカップを制したローレン・ホリデーが、今度はクラブの会長になった。就任先は、イングランド女子2部のブリストル・シティ女子。2026年9月10日の発表で取締役会は4人になった。この女子チームは、男子のブリストル・シティと過半数株主が違う。それでもクラブ名を残し、同じアシュトン・ゲートで試合を続けている。ホリデーが受け持つのは、女子側で経営を決めながら、男子側の施設を契約で使う会社だ。

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257

父が手放したトッテナムの年間席 娘ジェマが女性40人超のチームを率いるまで

レス・ダーヴィルは、長年持っていたトッテナムのシーズンチケットを手放した。58歳でパーキンソン病と診断され、友人にも話せず、外へ出ることが難しくなっていた。娘のジェマが連れていったのは、ワトフォードの練習場で開かれるウォーキングフットボールだ。8年後、ジェマは同じ病気と暮らす36〜66歳の女性でつくるイングランドチームを率いている。

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256

「La Coruña」を残すか、街と同じ「A Coruña」か デポルティーボ投票者79.41%の答え

スペイン北西部ガリシアのクラブ、デポルティーボの公式名から「La Coruña」が消えた。今のスペイン語名は「Real Club Deportivo de A Coruña」だ。2026年6月、投票した年間席保有者らの79.41%が、クラブ名の地名を街の公式表記へ合わせる案を選んだ。提案の出発点は、本拠地リアソールの隣にある公立中等学校だった。

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255

名前入りの家族席も移動対象に マンU「今回600人、累計1100人」の内訳

トニー・ライリーの席には、自分の名前が刻まれている。それでも、2026-27季のホスピタリティ区画拡大に伴う移動対象になった。家族がマンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラッフォードで同じ席を使い始めたのは1949年。今回の追加対象は約600人で、2024年2月以降の累計見込みが約1100人だ。二つの数字を分けると、監督席に近い一般席を飲食付き商品へ替える判断が、長年そこへ通う家族にどう及んだのかが分かる。

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254

昇格申請を出さなかった翌年、主将は理学療法士を辞めた ウルブズ女子のプロ化

アンナ・モーフェットが昇格の1週間後に退職を申し出た相手は、理学療法士として働く職場だった。ウルブズ女子の主将は、それまで別の仕事を続けながらイングランド3部でプレーしていた。2026年5月にWSL2昇格を決めると、クラブは選手をフルタイムで雇う初のシーズンへ動いた。前年には、最終戦が終わってから、昇格申請を出していなかったと選手へ伝えている。同じクラブが一年で何を変えたのか。

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253

クイズ賞金で渡英し、マンUの子ども向け教室へ ダンブラウスカスを支えた評価表

2026年9月10日、アゼルバイジャン王者サバはマンチェスター・ユナイテッドとのUEFAチャンピオンズリーグ・リーグフェーズ初戦に臨み、0-4で敗れた。サバは首都バクー近郊を本拠とする、2017年創設のクラブだ。率いるヴァルダス・ダンブラウスカスがマンチェスター・ユナイテッドと最初に接点を持ったのは、選手としてでも、アカデミーの指導者としてでもなかった。リトアニアのクイズ番組で得た賞金を足しにロンドンへ移り、子ども向けのサッカースクールで働いた。そこで渡された一枚の評価表が、英語も十分でなかった若い指導者の自信を支えた。

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252

17人の専任担当と500試合超 アーセナル戦で警察が目立たなかった理由

ロンドン北部のエミレーツ・スタジアムで、2026年9月6日に行われたアーセナル対チェルシー。約6万人が集まる一方、警察を大人数で目立たせる配置は選ばれなかった。スタジアム内の初動を担ったのは、約1000人のクラブ側要員だ。ロンドン警視庁では、17人のクラブ専任担当が年間500試合超の準備に関わり、必要な場所へ人を置く。安全を守る仕事は、警官を何人並べるかだけでは決まらない。

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251

3500席を足す工事でも、ドッグランは残した FC今治が本拠地を『試合日だけ』にしない理由

愛媛県北東部の今治市にあるアシックス里山スタジアムは、2026-27シーズンへ向けて南北ゴール裏の増築計画を進めた。目標は約3500席を足し、全体を約8900人規模にすること。ただし工事で動いたのは観客席だけではない。北側にあったドッグランも場所を変えた。クラブは客席を増やしながら、試合のない日に来る理由を残そうとした。

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250

999年借りる契約は、所有と何が違う? ミルウォールが10年の土地争いを終えた日

ミルウォールFCは、ロンドン南東部バーモンジーに本拠地ザ・デンを置く。2026年3月、クラブとルイシャム区は土地の999年賃貸借契約へ署名した。数字だけなら、ほとんど永久に見える。ただし、売買ではない。2016年の強制収用案から続いた争いを終わらせたのは、所有することより、同じ場所で次を決められる長さだった。

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249

クラブ名も選手もないのに、先にサポーターがいた ボストンISAが2年でつくった応援席

ボストン・レガシーFCは、米国女子プロリーグNWSLへ2026年に加わった。ところが、その応援組織は選手名簿どころか、クラブ名が決まる前から動いていた。ボストン独立サポーターズ協会(Boston ISA)が先につくったのは、チャントではなく、クラブへ意見を伝えられる組織だった。

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248

週50枚超の背番号、3台のバン キットスタッフが試合6時間前から動く理由

キットスタッフは、ユニフォームを洗うだけの係ではない。背番号を付け、選手ごとのサイズをそろえ、スパイクを運び、試合後の洗濯までつなぐ。イングランドのクラブとスイス代表の仕事を並べると、選手が当たり前に着替えられるまでに、どれだけ細かな準備が重なっているかが分かる。

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247

男子本拠地の隣に、1万席を新設へ ブライトンが女子専用スタジアムを「適正サイズ」で考える理由

ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンは、イングランド南部のクラブだ。2026年4月、女子チームのために1万席規模のスタジアムを新設する計画を発表した。場所は男子チームの本拠地の中ではない。そのすぐ隣だ。大きな競技場を共用するのではなく、選手と観客の一日から新しい器を考えている。

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246

最高齢107歳、1300通のエール 介護施設の人がJクラブを「支える側」になる日

高齢者施設で暮らす人が、地元のJクラブを応援する。Be supporters!は、その関係を「元気にしてもらう催し」だけで終わらせない。普段は支えられる場面の多い人が、選手やクラブへ声を届ける。サポーターという役割を、施設の日常に持ち込んでいる。

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245

28エーカーを買い、女子クラブの専用拠点へ ロンドン・シティが練習場から始めた独立

ロンドン・シティ・ライオネシズは、男子クラブの傘下に入らず運営するイングランドの女子クラブだ。2024年、ロンドン南東のケント州にあるコブダウン・パークを取得した。28エーカーの土地を、トップと育成が一緒に使う専用拠点へ変えようとしている。

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244

古い農家から83人の寮へ 「ラ・マシア」が建物を越えて残った理由

FCバルセロナの育成を語るとき、「ラ・マシア」という言葉が何度も出てくる。最初は1702年築の農家だった。1979年に若手の寮となり、2011年には別の街の新施設へ移った。いまは男子サッカーの寮生に限らず、女子や他競技を含む育成の考え方も指す。一つの名前に、建物、生活、育成方針が重なっている。

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243

アカデミーを閉鎖し、6年後に再開 ブレントフォードがBチームを残した理由

ロンドン西部のブレントフォードは、2016年に9歳前後から選手を育てるアカデミーを閉じ、17~21歳中心のBチームへ絞った。2022年にはアカデミーを再開し、2026年に最高区分のカテゴリー1へ到達した。それでもBチームは残る。閉鎖と再開の間に、選手をトップへ送る別の階段ができていたからだ。

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242

「黄色い壁」は、どこの席? 2万4454人が一つのゴール裏に立つ仕組み

ドイツ西部の都市ドルトムントで、ボルシア・ドルトムントのゴール裏が黄色に染まる。「黄色い壁」と呼ばれるのはスタジアム全体ではなく、南側の一段式スタンドだ。国内試合の立ち見定員は2万4454人。愛称が生まれた時期と、人数を集める建物の変化をたどると、映像の迫力がどこから来るのかが見えてくる。

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241

背番号34を空け、AEDを34台へ アヤックスとヌーリ家がつないだ二つの決定

アヤックスは、オランダの首都アムステルダムを本拠とするクラブだ。トップチームの背番号34は原則として使われていない。着けていたアブドゥルハーク・ヌーリが、2017年7月8日の練習試合で心停止を起こしたためだ。クラブは後に救命処置の不備を認めた。番号を空ける決定と、34台のAEDを置く活動。その両方にヌーリ家が関わっている。

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240

先発でも控えでも、一人は育成出身 マンチェスター・ユナイテッドが88年つないだ登録枠

マンチェスター・ユナイテッドには、1937年10月から続く育成記録がある。男子トップチームの全公式戦で、クラブの育成組織を経験した選手が少なくとも一人、先発か控えに入ってきた。条件は実際の出場より広い。それでも2026年2月までに、育成出身者258人がトップチームでデビューした。登録枠の連続と、ピッチへ送り出した人数は分けて読む必要がある。

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239

男子の133年が終わった翌季、女子の本拠地へ グディソン・パークを街に残した判断

グディソン・パークは、イングランド北西部の港町リバプールにある。1892年からエバートン男子チームの本拠地だったが、男子は2025年に市内の新スタジアムへ移った。跡地を住宅や医療施設へ変える計画もあった。新オーナーが選んだのは、競技場を残し、女子チームの恒久的な本拠地にする道だった。2025-26シーズン、発表は実際の試合日程へ変わった。

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238

850ユーロを集めても、一人一票 ザンクト・パウリが2万人超へ渡したスタジアムの決定権

FCザンクト・パウリは、ドイツ北部の港町ハンブルクにあるクラブだ。2025年11月、2万人超が参加する協同組合が、本拠地ミラントア・シュタディオンの運営会社の過半数を取得した。参加者が買ったのは個別の座席ではなく、協同組合の持分だ。クラブそのものの株式とも違う。850ユーロから始まる資金が、施設の所有と一人一票の意思決定へどうつながったのか。

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237

小学6年生の机へ、選手と先生が問題を届ける 川崎フロンターレ算数ドリルの17年

川崎フロンターレは、川崎市を本拠とするJリーグクラブだ。2026年度、市内の公立小学校115校と特別支援学校3校へ「フロンターレ算数ドリル」を配った。選手の写真を載せた記念品ではなく、6年生が授業で使う問題集だ。作るのはクラブ、小学校の先生、教材の専門家、デザイナー。17年かけて、クラブは試合より先に教室で子どもと会うようになった。

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236

2万5092個のぬいぐるみを、安全に投げるには ベティスが決めたハーフタイムの条件

レアル・ベティスは、スペイン南部セビリアのクラブだ。クリスマス前のホームゲームでは、観客がハーフタイムにぬいぐるみをピッチへ投げる。2025年は2万5092個だった。寄付を大きな光景に変える一方で、後半は予定どおり始めなければならない。サイズ、重さ、投げる合図まで決めた運営が、この「ぬいぐるみの雨」を支えている。

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235

スポンサー料の10%は、どこへ行く? エンジェル・シティが契約に組み込んだ地域予算

エンジェル・シティFCは、米国ロサンゼルスを本拠とする女子プロクラブだ。各スポンサー契約の一部を地域活動へ回す「10%モデル」を、営業の仕組みに組み込んでいる。2026年9月3日に発表した通信会社Spectrumとの契約にも、広告枠と子ども向け教室が一緒に入った。10%という数字は、地域でどんな仕事に変わるのか。

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234

クラブ名を生んだ喫茶店を、クラブが39年後に復活 松本山雅「山雅」の61年

松本山雅FCの「山雅」は、1965年に松本駅前へ開いた喫茶店から来た。国体の長野県選抜を中心とする選手たちが店に集まり、その名前でチームをつくった。店は1978年に閉じたが、クラブ名は残る。2017年、今度はクラブが喫茶山雅を街へ戻した。名前が店からチームへ渡り、再び店の看板になるまでの61年をたどる。

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233

なぜ本物のヤギがホームゲームに来る? ケルン9代目「ヘネス」の仕事と暮らし

1.FCケルンのエンブレムには、大聖堂の上にヤギが立つ。始まりは、絵より先にいた本物のヤギだ。1950年2月13日、クラブのカーニバル行事で贈られ、選手兼監督ヘネス・ヴァイスヴァイラーの名を受けた。現在は9代目がケルン動物園で暮らし、健康確認を受けてホームゲームへ通う。

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232

肉を売らず、雨水で芝を育てた FGRが女子チームを止めた2026年の判断

フォレスト・グリーン・ローヴァーズ(FGR)は、イングランド南西部グロスターシャー州ネイルズワースのクラブだ。スタジアムで肉を出さず、雨水を芝へ戻し、太陽光で電力の一部をつくる。環境対策は日々の運営に入っている。そのFGRが2026年、女子チームを1シーズン置かないと決めた。同じクラブで、何が続き、何が止まったのか。

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231

男女のトップチームに同じ予算枠 ルイスFCが9年続ける「Equality FC」

ルイスFCは、イングランド南部イースト・サセックス州ルイスを本拠とする小さなクラブだ。2017年、男女のトップチームに同額の「プレー予算」を配るEquality FCを始めた。2026年の公式ページにも同等の予算を続けるとある。選手一人ずつの契約額とは切り分け、二つのチームがシーズンを組み立てる予算枠をそろえた。

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230

港で見たスウェーデン船から選んだ ボカの青と黄に残るラ・ボカの日常

ボカ・ジュニオルスの青と黄は、アルゼンチン国旗とも、創設者たちの故郷イタリアとも違う。クラブ公式史によると、港で働いていたフアン・ブリチェットがラ・ボカでスウェーデン船を見て、その国旗の色を提案した。二色が現在の横帯になるまでと、港町の記憶がクラブカラーに残った理由をたどる。

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229

献血の謝礼を渡し、14万時間働いた ウニオン・ベルリンの「自分たちの本拠地」

1.FCウニオン・ベルリンは、ドイツの首都ベルリン南東部ケーペニックを本拠とする。2004年、4部リーグの参加資格が危うくなると、サポーターは献血で受け取った謝礼をクラブへ回した。2008年からの本拠地改修には2300人超が参加した。応援席の外でも、クラブを続けるためにお金と時間を持ち寄った。

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228

約37万筆の先にできた「街なか」 広島の新スタジアムが開くまでの11年

2013年1月、広島県サッカー協会などは新しいサッカースタジアムを求める約37万件の署名を、県、市、商工会議所へ届けた。エディオンピースウイング広島の供用開始は2024年2月1日。入口になった署名から11年、候補地、交通、住環境、運営方法を一つずつ決めた。

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227

強いレンジャーズを追う時代、選手は肩を組んだ セルティック「ハドル」の30年

セルティックの選手は試合前、肩を組んで輪をつくる。クラブを象徴する「ハドル」が始まったのは1995年7月23日。発案したDFトニー・モウブレイは、戦術確認の場より、苦しい時期の選手とサポーターが同じ方向を向く合図として考えた。

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226

13歳でロボットの全国賞、20歳でプレミアへ イレンキを育てた「二つの進路」

コヴェントリー・シティは2026年8月7日、ガーナ代表の20歳ケイレブ・イレンキをFCノアシェランから獲得した。ガーナの寄宿型アカデミーでロボット工学にも熱中し、13歳で全国規模の賞を受けた選手だ。サッカーと学校を別々の進路にしなかった育成が、デンマークを経てイングランドへつながった。

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225

一社の名ではなく「セラミック」 ビジャレアルが本拠地を地域産業の共同看板にした

スペイン東部バレンシア州のビジャレアルCFは2017年、長く「エル・マドリガル」と呼ばれた本拠地を「エスタディオ・デ・ラ・セラミカ」へ改称した。日本語なら「陶磁器のスタジアム」。一社の企業名を掲げる命名権ではなく、複数の地元企業が町の主産業をまとめて見せる仕組みだった。

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224

ヒュー・ジャックマンの「カナリーズ」 ノリッジの黄色が16世紀の移民史につながる

俳優ヒュー・ジャックマンは2026年9月3日、ノリッジ・シティへの出資をめぐり、いま話をしていると明かした。母親がイングランド東部ノリッジの出身で、本人も幼い頃からクラブを応援してきた。彼が口にした愛称「カナリーズ」は、黄色いユニフォームより先に定着し、その背景には16世紀の移民と織物産業がある。

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223

赤と黄ではなく、緑と黒を着た日 RCランスが120年前の炭鉱事故を記憶する理由

2026年3月、RCランスの男子と女子は、普段の赤と黄ではなく緑と黒を着た。1906年3月10日のクーリエール炭鉱事故から120年。1099人が亡くなり、そのうち242人は16歳未満だった。クラブの最初の色を着直す試合は、炭鉱街の記憶を現在の予定へ戻した。

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222

新加入選手だけを映さない ASローマが移籍動画に行方不明の子どもを載せた理由

ASローマは2019年、新加入選手を発表する動画へ行方不明の子どもの情報を組み込んだ。注目が集まる移籍市場の映像を、捜索情報の入口にも使う試みだ。2021年7月までに掲載した150件超のうち10人、同年8月までに12人が無事に見つかったと報告された。

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221

入口はイングランド、ピッチはウェールズ? チェスターFCの本拠地で国境が問題になった日

チェスターFCの本拠地は、チケット売り場と入口がイングランド側にあり、ピッチと客席の大半はウェールズ側にある。普段は気に留めにくい境界が、2022年1月、両国で新型コロナ対策が分かれた時に、入場者数を左右する規則になった。

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220

初優勝の翌年に辞任を迫られ、亡命後に戻った バイエルンとクルト・ラントアー

FCバイエルンが初めてドイツ王者になった1932年、会長はクルト・ラントアーだった。ユダヤ系だった彼は翌年に辞任を迫られ、強制収容所を経てスイスへ逃れた。それでも戦後のミュンヘンへ戻り、会員から再び会長に選ばれた。いまクラブが語る成功の歴史には、一度消された人物を取り戻した過程も含まれている。

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219

選手の年俸から、放送時間とチケット売上へ フアン・マタの「1%」が広げたもの

フアン・マタは2017年、自分の年俸の1%を寄付し、ほかの選手にも参加を呼びかけた。Common Goalの「1%」は、その後、ボールの売上、放送時間、代表戦のチケット売上にも使われた。同じ比率を先に決めたことで、選手個人の善意が、クラブや企業、協会も参加できる共通ルールへ広がった。

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218

キックオフ地点の延長線に祭壇がある シャルケの礼拝堂が25年続く理由

シャルケ04の本拠地フェルティンス・アレーナには、選手入場口とキックオフ地点の延長線上に礼拝堂がある。2001年8月12日に開かれ、2026年で25年。試合前の祈りだけでなく、洗礼、結婚、追悼、仕事や病気の相談を受け入れてきたことが、競技場の一室をクラブの日常にした。

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216

胸広告なのに、クラブが年150万ユーロを払った バルセロナとUNICEFが逆さにしたスポンサーの常識

ユニフォームの胸は、企業がクラブへ広告料を払う場所として定着していた。2006年のFCバルセロナは、UNICEFの名を載せ、自分たちが年150万ユーロを拠出した。社会貢献とブランドづくりが同じ契約に入ったことで、胸の価値をめぐる問いも変わった。

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214

170人の工場員が会社へ出した手紙 レヴァークーゼンは「企業クラブ」だけで説明できるか

バイエル・レヴァークーゼンの出発点には、会社の決定より先に従業員の手紙があった。1903年、170人が運動の場を求めて署名した。会社が受け入れて生まれた関係は120年以上続き、いまはドイツの「50+1ルール」をどこまで同じ条件で運用するかという議論につながっている。

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213

旧本拠地で年25万kWh、新本拠地で230万kWh フライブルクが太陽光を引き継いだ

SCフライブルクの旧本拠地には、全スタンドの屋根に太陽光パネルがあった。新しいヨーロッパ・パーク・シュタディオンでは、6000枚を超えるパネルが年間約230万kWhをつくる。新築で始まった環境策ではなく、古い運営を大きな屋根へ移した話だ。

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212

クラブを作り直し、979万5904ポンドを貸した AFCウィンブルドンが「帰る場所」を守る方法

AFCウィンブルドンのサポーターは、移転への抗議からクラブを作り直した。プラウ・レーンへ戻る段階では、寄付に加えて債券も選んだ。二つの債券で集めた979万5904ポンドは、応援の大きさに加え、利息と満期を伴う借金をファン所有の継続に使った額を示す。

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211

りんごの木2本から6品目の販路へ 福島ユナイテッド「農業部」が選手を畑へ送る理由

福島ユナイテッドFCは2014年、県産農作物への風評被害に向き合うため「農業部」を始めた。最初に買ったのは、りんごの木2本だった。選手とスタッフが生育作業から収穫、販売まで関わり、2026年には6品目を扱う。クラブの発信力が、畑と試合会場を結ぶ販路になった。

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210

ピッチの芝を、耕作放棄地で育てる ガイナーレ鳥取がクラブの技術を街へ出した

ガイナーレ鳥取は2017年、使われなくなった農地で芝を育て、学校や広場へ届ける「Shibafull」を始めた。出発点は、本拠地を管理する職員の経験だった。競技場の内側で使っていた技術が、土地、人手、子どもの遊び場という地域の課題を結び直した。

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209

4万6000人の翌年、FA加盟球場を失った 工場生まれのディック・カー・レディース

第一次世界大戦中、イングランド北西部プレストンの軍需工場から女子チームが生まれた。ディック・カー・レディースは1920年、少なくとも4万6000人を集める。だが翌年、イングランドサッカー協会は加盟クラブの球場で女子の試合を行わせないと決めた。人気の頂点と、会場を失う決定は一年しか離れていない。

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208

医療、体力、心理を一つの判断材料へ ACミラン「MilanLab」が2002年に始めた仕事

ACミランは2002年、練習施設ミラネッロにMilanLabを設けた。けが人を治療する医務室の拡張ではなく、医療や体力などのデータを集め、監督や経営陣を含む複数部門の判断を支える構想だった。ベテランの長い現役生活で知られた仕組みを、クラブが公表している役割からたどる。

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207

監督室ではなく、ブーツ置き場でクラブを継いだ リヴァプール「ブートルーム」の人々

アンフィールド旧メインスタンドの奥に、ブーツと酒箱を置く小部屋があった。1960年代から80年代、リヴァプールのコーチ陣はそこで戦術や補強を話し合い、後には仲間から監督を送り出した。伝説の中心にいたのは、名将一人ではなく、得意分野の違うスタッフたちだった。

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206

女子チームをつくった人が、男子の用具も整えた アーセナルとヴィック・エイカーズの二つの仕事

1987年、アーセナルの地域活動を率いていたヴィック・エイカーズは、少女たちとの会話から女子チームを立ち上げた。後には女子監督と男子トップチームのキットマンを兼ねた。欧州王者へ進んだチームの出発点には、選手を集め、働き口を探し、用具をそろえた一人のスタッフがいた。

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205

昇格したのに、170万ユーロを集めなければ3部へ エイバルを50カ国の株主が支えた

2014年、SDエイバルは初めてスペイン1部への昇格を決めた。借金はなく、リーグ会長から「模範的」と評された。それでも資本金の基準を満たせなければ、当時3部相当のセグンダBへ落ちる可能性があった。町の商店や元選手、海外のファンが株式を買い、ピッチで得た昇格を守った。

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204

芝を外へ出せないから、地下へ ベルナベウがつくった「ピッチの収納庫」

レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウは、天然芝を6枚に分けて地下へしまう。周囲は道路、住宅、オフィスに囲まれ、スタンドの外へピッチを逃がす余地がない。都市の真ん中で多目的化するため、芝を横ではなく下へ動かした。

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203

歓声がつらくても、試合を諦めない サンダーランドが親子と作った感覚観戦室

スタジアムの歓声や人混みは、感覚に強い負担を受ける人の観戦を難しくする。サンダーランドは2015年、ピッチを窓越しに見られる感覚観戦室を設けた。始まりは、自閉スペクトラム症の息子ネイサンと試合へ行きたかったピーター、ケイト・シッピー夫妻の提案だった。

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202

控えGKも主将も同じ一票 コリンチャンスの日常から始まった「民主主義」

1980年代初め、ブラジルのコリンチャンスでは、主将、控え選手、スタッフ、経営側が一票ずつ持った。決めたのは練習や遠征、採用、収入配分など、チームの日常だった。その方法が軍政下の社会へ広がり、「15日に投票を」という言葉をユニフォームに載せた。

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201

クラブより先に900人のホールを建てた ヒバーニアンを生んだ教会と移民街

ヒバーニアンの出発点は、競技場やパブではなかった。19世紀のエディンバラ旧市街で、アイルランド系住民を支えた教会と900人超が入る集会所だった。サッカークラブは、その地域活動に後から加わった。2026年8月、創設地には新しい記念板が置かれた。

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200

2万5000人が立つ南スタンドの下で、若者が差別を考える BVBの「試合のない教室」

ボルシア・ドルトムントの南スタンドは、試合日に2万5000人超が立って応援する場所だ。その数メートル下では、試合のない日に若者が差別や異文化理解を学ぶ。2004年に15台のパソコンから始まったBVBラーニングセンターは、熱狂の場所を無料の政治教育に使っている。

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199

相手クラブがまだなかった シェフィールドFCが始めた「既婚者対独身者」

1857年にシェフィールドFCが生まれた時、近くに同じ形の対戦相手はいなかった。そこで会員を既婚者と独身者、姓のアルファベット前半と後半などに分けた。世界最古のクラブの日常は、仲間を二組にするところから始まった。

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195

勝敗とフェアプレーに別々の順位表 ラ・リーガ・ジェニュインが数える二つの「勝ち」

ラ・リーガ・ジェニュインは、知的障害のある選手が出場するスペインの公式大会だ。2025-26シーズンは50クラブが参加する。試合結果とフェアプレーを別々に集計し、優勝も二つに分ける。振る舞いは副賞ではなく、もう一つの競技成績になる。

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194

250枚想定に5000件超 クラプトンCFCのシャツが7年後に16人の記念碑になった

東ロンドンの会員制クラブ、クラプトン・コミュニティFCは2018年、スペイン内戦の国際旅団を記念するシャツを選んだ。250枚ほどを想定した品に、世界から5000件を超す問い合わせが来た。売上の一部は、2025年に完成した地元ゆかりの16人の記念碑へつながった。

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193

1894年に505工場、2026年に老舗と提携 ノーサンプトンの「コブラーズ」

イングランド中部のノーサンプトン・タウンは、「コブラーズ」の愛称で知られる。コブラーは靴を作り、直す職人のことだ。クラブ誕生前の町には505の靴工場があり、2026年には1879年創業の地元メーカーがクラブの主要パートナーになった。

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192

英国手話も音声も使う ブリストル・シティ・デフFCが二つの大会へ出る理由

ブリストル・シティ・デフFCは、イングランド南西部のプロクラブ、ブリストル・シティの地域活動につながる男子チームだ。対象は聴覚障害のある16歳以上。英国手話を使う選手も、音声で話す選手も参加し、地域の障害者リーグと全国のろう者大会でプレーする。

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191

1967年はダラス、1969年からタンジェリン ダンディー・ユナイテッドが米国から持ち帰った色

スコットランドのダンディー・ユナイテッドは、現在のタンジェリン色を米国遠征から持ち帰った。1967年、クラブは北米の新リーグで『ダラス・トルネード』として12試合を戦う。2年後に再訪した時のオレンジ色が、帰国後のユニフォームを変えた。

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190

前年は夫、2026年は妻 マインツの祭りシャツが街の張り子夫婦をつないだ

ドイツの1.FSVマインツ05は2026年1月22日午前11時11分、カーニバル用ユニフォームを発表した。モデルは巨大な張り子人形『シュヴェルコップ』のリスベッチェ。前年のシャツに登場したカールヒェンの妻だ。2季を並べると、街の祭りにいる夫婦がクラブの服へ一人ずつ移っている。

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189

市営墓地の中に、HSVの客席をつくった スタジアム向かいのファン墓域

ハンブルガーSV(HSV)の本拠地フォルクスパルクシュタディオンから道を挟んだアルトナ中央墓地には、クラブをテーマにした墓域がある。2008年に開かれ、入口はゴール、墓石は客席のような半円を描く。土地は公共墓地の一部で、現在の相談窓口には地元の墓地造園業者が立つ。

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188

公有地を50年借り、女子専用の1万1500席を造った KCカレントの本拠地経営

米国NWSLのカンザスシティ・カレントは2024年3月16日、女子のプロスポーツチームのために建てられた専用競技場で初戦を行った。土地は港湾当局Port KCから50年間借り、建設費1億4000万ドルは民間資金で賄った。1万1500席の器を持つ前には、女子チーム専用の練習場を先に開いている。

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187

87.3%が続投支持、それでも投票は不成立 シアトルの「GM信任票」

MLSのシアトル・サウンダーズでは、シーズンチケット保有者が約4年ごとにGMの続投を問う。2018年は投票の87.3%がガース・ラガウェイの続投を支持した。しかし、参加率が規定の40%へ届かず、投票そのものは不成立になった。ファンの権限と、その権限を成立させる条件が同時に見える制度だ。

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186

紫の客席に49の虹色席 オーランドが2016年の犠牲者を本拠地に残した

米国フロリダ州オーランドのInter&Coスタジアムには、紫と白の客席の中に49席の虹色席がある。2016年6月12日にナイトクラブPulseで命を奪われた49人を、一人につき一席で記憶する恒久的な区画だ。クラブは新本拠地の完成前に、この場所を12番区画へ組み込むと決めた。

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185

会長は目標を、32歳の監督は現場を担った ワトフォードが4部から1部2位へ上がるまで

エルトン・ジョンがワトフォードの会長になったのは1976年5月11日。翌年、32歳のグレアム・テイラーを監督に迎えた。二人は5季で3度の昇格を重ね、1982-83シーズンにはイングランド1部で2位に入った。ヴィカレージ・ロードには、いまも二人の名を持つスタンドが並ぶ。

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184

2018年に撤回、2022年に正式発売 ボヘミアンズがボブ・マーリーの肖像権を取り直すまで

アイルランドのボヘミアンFCは2018年、ボブ・マーリーの肖像を使ったユニフォームを発表後に撤回した。第三者から得たライセンスでは製造できなかったためだ。4年後、クラブはマーリー家と権利事業者につながり、同じ競技場の記憶を正式な商品にした。

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182

12人を外せば加盟できた ヴァスコが「選手を犠牲にしない」と返した1924年

リオデジャネイロのヴァスコ・ダ・ガマは1924年4月7日、新設団体AMEAへの加盟を辞退した。条件だった12選手の除外を受け入れなかったためだ。返書を読むと、人種と階級の壁だけでなく、選手を調べた手続きそのものへの抗議が見える。

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176

1903年の黒白シャツを届けた縁で、ユヴェントスは開場式にノッツ・カウンティを呼んだ

ユヴェントスは2011年9月8日、トリノの新本拠地を開く親善試合にノッツ・カウンティを招いた。当時の相手はイングランド3部。選ばれた理由は強さや知名度より、1903年にノッティンガムから届いた黒白の縦じまにあった。

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175

住宅の間を抜けて客席へ ルートンのアウェー入口が残す1905年の街路

ロンドンの北にある町ルートンで、アウェーサポーターは連続住宅に挟まれた改札からケニルワース・ロードへ入る。階段を上がると、家々の裏庭が通路の下に見える。1905年の開場時から住宅に囲まれていた本拠地が、街の中で客席を増やしてきた跡だ。

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174

選手、職員、サポーター41人が同じ大隊へ レイトン・オリエントがフランスに残す三人の名

ロンドン東部のレイトン・オリエントは、第一次世界大戦当時「クラプトン・オリエント」と名乗っていた。選手、職員、サポーターの41人がサッカー関係者を集めた大隊へ入った。1916年には三選手がソンムの戦いで死亡し、クラブの記憶は本拠地とフランス北部の村に残った。

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173

1892口の株で、クラブ名を生んだ船を直す ヘルタと蒸気船「ヘルタ」

ヘルタBSCの名は、創設者の一人が父と乗った客船「ヘルタ」から来た。その船は1886年生まれで、いまもドイツの首都ベルリン近郊に残る。2016年に始まった買い取りと修復には、クラブだけでなく会社の株主になったファンも加わった。2026年8月、船はオラニエンブルクの造船所で再び乗客を運ぶための工事を続けている。

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172

初めてサン・マメスへ来た主将が花を置く 1927年から続くピチーチの出迎え

アスレティック・クルブの本拠地サン・マメスへ初めて来るクラブには、試合前の役目が一つある。相手主将が、アスレティックの往年の選手「ピチーチ」の胸像へ花束を置く。始まりは1927年元日、ハンガリーのMTKブダペストだった。

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171

男子、女子、育成が同じ住所へ フィオレンティーナが全チームを集めたヴィオラ・パーク

フィオレンティーナは2023年10月11日、フィレンツェ東郊のバーニョ・ア・リーポリにヴィオラ・パークを開いた。男子トップ、女子、育成年代の20チームが練習し、女子と若手は施設内で公式戦も行う。医療、宿泊、広報、クラブ職員の仕事場まで同じ住所へ移した。

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170

一人一票のクラブが200万ポンドを集めた FCユナイテッドの本拠地建設

マンチェスター北部モストンのブロードハースト・パークは、総工費630万ポンドのサッカー場だ。FCユナイテッド・オブ・マンチェスターのファンは、そのうち200万ポンドをコミュニティ株式で集めた。大口出資者にも票を上乗せせず、公共助成や融資と組み合わせて2015年の開場まで進んだ。

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168

1季の競技場名から10年後の広場へ ダルムシュタットがヨナタン・ハイメスを残す

ドイツ南西部のSVダルムシュタット98は2026年8月30日、本拠地の正面前庭を「ヨナタン・ハイメス広場」として開いた。26歳で亡くなった一人のファンの名は、2016-17シーズンの競技場、南スタンドを経て、人が集まる入口へ移った。

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167

無料試合を3戦から5戦へ増やした フォルトゥナ・デュッセルドルフの収入設計

ドイツ西部のフォルトゥナ・デュッセルドルフは、2023-24シーズンにホーム3試合の入場料を無料にした。翌季は4試合、2025-26季は5試合へ拡大した。観客が払うチケット代を長期スポンサー契約で置き換え、育成、女子、施設にも資金を配る試みだ。

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162

60人の候補が1万4838票を集めた チャールトンの本拠地帰還を動かした「ヴァレー党」

1990年5月3日、ロンドン南東部グリニッジ区の地方選挙に、チャールトン・アスレティックのサポーター60人が立候補した。掲げた争点は、本拠地ザ・ヴァレーへの帰還。サッカークラブの問題を投票用紙へ載せ、区議会が向き合う土地利用の問題に変えた。

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161

赤と青の試合日に立つ紫のバン リヴァプールとエヴァートンのファンが食料を集める

リヴァプールとエヴァートンは、同じ街で赤と青に分かれるライバルだ。試合日には、両方の本拠地に紫のバンが立つ。Fans Supporting Foodbanksを始めたのは、二つのサポーター組織だった。缶詰を入れた車輪付き容器から始まり、地域パントリーへ生鮮品も届ける活動へ広がった。

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160

1986年、客席の旗から「第2ロゴ」が育った ザンクト・パウリの髑髏

ドイツ北部ハンブルクのFCザンクト・パウリには、円形のクラブ章と並ぶ髑髏の印がある。最初に客席へ現れたのは1986年ごろ。近所の印刷業者が別の図柄を作り、サポーター支援拠点がシャツを広めた。クラブが商標を得たのは、その後の1999年だった。

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159

1932年、地下鉄の切符にクラブ名が入った 「アーセナル駅」を実現した監督

ロンドン地下鉄ピカデリー線のArsenal駅は、1906年にGillespie Roadとして開業した。クラブが近くのハイベリーへ移ったのは1913年。その後、監督ハーバート・チャップマンが改名を働きかけ、駅名標だけでなく路線図、切符、運賃機械へクラブ名を入れた。

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158

1905年の更衣室が、競技場名を引き継いだ フラムの角に残る「コテージ」

ロンドン西部、テムズ川沿いにあるフラムの本拠地Craven Cottage。そのピッチの角には、名前どおり家のような建物が立つ。現在の「コテージ」は、18世紀の屋敷があった土地へ1905年に建てた競技場施設で、選手の更衣室やクラブ運営に使われてきた。

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157

クラブより先に応援団がいた サンズ・オブ・ベンがMLSをフィラデルフィアへ呼ぶまで

フィラデルフィア・ユニオンがMLSへの参加を認められたのは2008年2月28日。その約1年前、地元には応援対象となるMLSクラブがまだなく、サポーター組織サンズ・オブ・ベンが先に生まれていた。観客の存在を示す活動と、スタジアムを実現する官民事業が合流し、2010年に試合が始まった。

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156

試合の90分前、選手と観客が同じ杭へ署名する アトランタの鉄道都市を刻む儀礼

MLSのアトランタ・ユナイテッドは、ホームゲームの90分前に選手と観客が巨大な金色の杭へ署名する。キックオフ直前は地元ゆかりの人物が杭を打ち、試合後はファンが選んだ選手へ小さな杭が渡る。鉄道から始まった街の歴史を、毎試合の手順にした儀礼だ。

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155

県リーグの清水FCからオリジナル10へ 市民持ち株会22%が支えたエスパルスの出発

1991年にJリーグ参加が決まった10クラブは、日本サッカーリーグ(JSL)1部から8、2部から1、静岡県1部から1という顔ぶれだった。県リーグの清水FCを土台に、地域の選手、企業、市民から資金を集める。市民持ち株会は5%の割り当てから22%の筆頭株主へ育った。

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154

決勝の6日前に名前を変えた パルメイラスが新名称の初戦で優勝した1942年

1942年9月14日、サンパウロのPalestra de São Pauloは現在のSociedade Esportiva Palmeirasへ改名した。6日後の州選手権で初めて新名称を使い、その試合で優勝を決めた。現在の名前が生まれた背景には、第二次世界大戦下の国家政策と、イタリア移民が築いたクラブの歴史が重なる。

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153

21日の期限を告げた15日後、過半数株の買い手が現れた ダーラム女子の救済

2026年6月8日、イングランド女子2部のダーラム・ウィメンは、買い手か出資者が21日以内に現れなければ全カテゴリーの活動を終えると発表した。6月23日、地元実業家ジェフ・トンプソンらによる過半数株式の取得合意が成立した。期限を6日残した救済だった。

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152

U-18の4人を補償金なしで失った クイーンズ・パークが152年目に選んだプロ化

スコットランド最古のサッカークラブ、クイーンズ・パークFCは、1867年から選手を無給とし、2019年までその原則を守った。転機の直前、U-18は国内ユース杯の準決勝へ進んだが、4選手がプレミアシップ勢と契約し、クラブには補償金が入らなかった。会員は規約を変え、プロ契約を選んだ。

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151

拍手より先に「ラピードの15分」があった 1908年の新聞が残した終盤の呼び名

オーストリアの首都ウィーンを本拠とするSKラピードでは、75分を迎えると客席がリズミカルな拍手を始める。「ラピード・フィアテルシュトゥンデ」、つまりラピードの15分だ。1919年開始の話が伝わる一方、この呼び名は1908年の新聞にすでに登場していた。

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150

日曜11時15分、スタンドの間で礼拝が始まる グディソンより古いセント・ルーク教会

エヴァートンの旧男子本拠地グディソン・パークでは、二つのスタンドの間に英国国教会の教区教会が立つ。教会は1892年の競技場開場より古く、現在も日曜11時15分に聖餐式を行う。2025年に女子チームがグディソンを引き継いだ後も、試合と礼拝が同じ一角で続いている。

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149

男子移転後も街で開く エヴァートンがグディソン脇に建てた心のケア拠点

イングランド北西部リヴァプールのグディソン・パークから150メートル足らず。エヴァートンの慈善部門は2023年3月、心の健康を支える「ザ・ピープルズ・プレイス」を開いた。男子チームが新本拠地へ移った後も、相談と支援の窓口は同じ街で動き続けている。

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147

中学生が主体のU-18 日テレ・東京メニーナが6学年を一緒に育てる理由

日テレ・東京メニーナは、女子プロクラブの日テレ・東京ヴェルディベレーザにつながる育成チームだ。中学1年から高校3年までが一緒に練習し、2025年のJFA紹介では中学生が主体とされる。年齢をまたぐ日常の先に、U-18大会、年代制限のない皇后杯、トップチームへの昇格が並ぶ。

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145

165人の遠征から、座席を選べる本拠地へ マンUの障害者ファン組織MUDSA

マンチェスター・ユナイテッド障害者サポーター協会、略称MUDSAは1989年に生まれた。障害のあるファンと介助者が、観戦でぶつかる壁をクラブへ伝える当事者組織だ。試合券はクラブが扱い、MUDSAは会員の声、行事、遠征、施設改善を担う。

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144

パン屋の売上と土地の所有を分けた アンフィールド向かいの「ホームベイクド」

リヴァプールFCの本拠地アンフィールド。その向かいに、住民が共同で運営するパン屋「ホームベイクド」がある。運営主体は、地元住民による協同組合とコミュニティ・ランド・トラストだ。再開発で家が取り壊された街で、住民が店と土地の行方に関わるためにつくった。

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143

追悼試合の募金は、やけど研究へ ブラッドフォードが40年支える研究室

1985年5月11日、イングランド北部ブラッドフォードのバレー・パレードで火災が起き、56人が亡くなり、258人が負傷した。惨事の後にブラッドフォード大学へ生まれたのが、形成外科・熱傷研究ユニット(PSBRU)だ。クラブと街の追悼は式典で終わらず、研究者を雇い続ける資金にもなった。

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アカデミー男子との食堂共有をやめた マンチェスター・シティ女子を支える3人の料理人

マンチェスター・シティは2026年5月13日、女子トップチームの専用練習棟を開いた。1000万ポンドを投じた施設で目を引くのは、ジムや水治療設備だけではない。3人の専任料理人が、練習日程だけでなく選手の文化や好みに合わせて食事を作る。共有施設の強みを残しつつ、女子チームの一日を専用に組み直した。

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胸広告が禁止なら、鹿をクラブ章にする ブラウンシュヴァイクが1973年に開けた穴

1973年の西ドイツでは、ユニフォームに広告を入れられなかった。そこでアイントラハト・ブラウンシュヴァイクと近郊の薬草酒メーカー、イェーガーマイスターは、企業の鹿印をクラブ章に変えた。広告ではなく紋章として胸へ置くためだった。

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140

5000人目の来場者を迎えた ニューカッスルがスタジアムに置く認知症支援の入口

イングランド北東部ニューカッスルの本拠地セント・ジェームズ・パークでは、月に一度「メモリー・カフェ」が開かれる。認知症やアルツハイマー病とともに暮らす人と家族、介護者が、元選手やサポーターと話せる場だ。2019年に始まり、2025年9月には5000人目の来場者を迎えた。病院とは違う入口を、クラブの日常の中につくっている。

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139

先にあったのはクリケットだった シェフィールド・ウェンズデイが曜日を名乗る理由

イングランド北部の工業都市シェフィールドには、曜日を名乗るクラブがある。シェフィールド・ウェンズデイのサッカー部門ができた会合は、たしかに1867年9月4日の水曜日だった。だが「ウェンズデイ」という名は、その日に思いついたものではない。先に活動していたクリケットクラブから受け継いだ。

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138

スタンフォード・ブリッジの敷地と「チェルシーFC」の名を、ファン会社が持つ理由

ロンドン西部フラム地区にあるスタンフォード・ブリッジでは、チェルシーFCを運営する会社と、競技場の敷地を持つ会社が別になっている。敷地の自由保有権と「チェルシー・フットボール・クラブ」の名称を持つのは、ファンが株主のチェルシー・ピッチ・オーナーズ(CPO)だ。日々の運営から離れた場所に、移転をめぐる大きな判断を残している。

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137

4.5メートルの雄鶏は、傷まで複製した トッテナムが旧競技場を屋根へ運んだ方法

ロンドン北部のトッテナム・ホットスパー・スタジアムを見上げると、南スタンドの屋根に金色の雄鶏が立つ。高さは約4.5メートル。新しい形を作ったのではない。1909年から旧本拠地ホワイト・ハート・レーンにいた銅像を3Dで読み取り、傷やへこみまで大きくした。

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136

他クラブの「一筋」を、ホームの中央でたたえる アスレティックのワンクラブ賞

スペイン北部ビルバオのアスレティック・クルブには、少し変わった表彰がある。自分たちの功労者ではなく、別のクラブだけでプロ生活を送った選手をサン・マメスへ招く。「ワンクラブ賞」は、他クラブと選手の長い関係を、自分たちの観客の前でたたえる。

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135

契約最終年に妊娠すると、同条件で1年延長 ACミランが埋めた「休暇後」の空白

女子サッカーで妊娠・出産の休暇が制度化されても、契約そのものが切れれば復帰する場所はなくなる。イタリア北部ミラノのACミランは2024年8月、その空白に手を入れた。契約最終年に妊娠した選手には、同じ経済条件で1年を自動延長する。休む権利の次に、戻る先をどう残すかという話だ。

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134

旧本拠地はスーパーになった サン・ロレンソが46年超かけたボエド帰還

アルゼンチンの名門サン・ロレンソは、1979年にブエノスアイレスのボエド地区にあった旧本拠地を離れた。跡地には後にスーパーが建った。2026年5月26日、クラブは残る8345平方メートルについて、市の公社と無償の使用収益権契約を結んだ。6月16日には会員代表総会が全会一致で承認した。買い戻した土地と、使用権を得た土地。法的な形が違う二つを組み合わせた「帰還」だ。

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133

「光」の本拠地は、炭鉱跡に立つ サンダーランドが入口へ残したデービー灯

イングランド北東部サンダーランドのスタジアム・オブ・ライトは、名前だけを聞くと照明設備の新しさを想像しやすい。実際に立つのは、1993年まで石炭を掘ったウェアマス炭鉱の跡地だ。入口には巨大な鉱夫用安全灯がある。クラブは、暗い坑道で使われた「光」を本拠地の名前と公共空間へ移した。

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132

二つのクラブで建て、1年足らずで片方が持分を売った アリアンツ・アレーナの所有史

ドイツ南部ミュンヘンのアリアンツ・アレーナは、いまバイエルン・ミュンヘンの赤い本拠地として知られる。だが出発点は、同じ街のTSV1860ミュンヘンとの共同事業だった。運営会社は50%ずつ。2005年5月の開場から11か月足らずで、片方は持分を売った。外壁の色より先に変わったのは、所有の形だった。

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131

選手と幹部が29か所へ散る バイエルンが年に一度、ファンの町を訪ねる理由

バイエルン・ミュンヘンでは年末になると、ファンが選手に会いにミュンヘンへ集まるのではない。選手、監督、幹部が別々の公式ファンクラブへ向かう。2025年末から2026年初めの回は29会場。巨大クラブが「近さ」を保つため、面会を抽選と移動の仕組みにした年中行事だ。

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130

学校とトップチームを一本につないだ ガーナの育成組織がデンマークのクラブを買った理由

普通はプロクラブがアカデミーを持つ。ライト・トゥ・ドリームは順序が逆だった。西アフリカのガーナで始まった寄宿型の育成組織が、2015年末にデンマーク1部FCノアシェランを買収した。移籍先を一つ増やしただけではない。プロ契約と学校進学を、同じ育成の先に置くためだった。

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129

最初の一日は「公式チーム」ではなかった バルセロナ女子が1970年の11人を起点にする理由

FCバルセロナ女子の起点は、1970年12月25日にカンプ・ノウでプレーした11人に置かれている。だが、当日のチーム名はFCバルセロナではなく「セレクシオ・シウタット・デ・バルセロナ」。クラブの正式部門でもなかった。現在の強豪へ一直線につながったのではなく、選手たちが名前と立場を何度も変えながら残した入口だった。

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128

指名される側をやめた NWSLがドラフトを廃止し、選手にクラブ選択権を渡した

NWSL(ナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグ)は米国の女子プロリーグだ。2024年8月、選手をクラブへ割り当てるドラフトの廃止を決めた。新人も、契約を終えた選手も、次の職場を自分で選べる。米国スポーツで戦力均衡の道具になってきた仕組みを手放した理由は、選手の権利だけではない。世界中のクラブと人材を奪い合うリーグの事情もあった。

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127

紋章の創設年を44年さかのぼらせた クリスタル・パレスの「1861か1905か」

ロンドン南部のクリスタル・パレスは2022年、クラブ章の創設年を1905年から1861年へ変えた。44年の差がある。争点は、1861年のアマチュアチームと1905年にプロ化したクラブを、同じ組織の途中経過とみなせるかだ。クラブは1861年から続く歴史を掲げる。一方、イングランドサッカー協会(FA)の公式史は、1863年の同名クラブを現在のプレミアリーグのクラブとは別と注記している。

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126

米国の流行歌と、東ロンドンの少年 ウェストハム「泡の歌」はどう結びついたか

ウェストハムの試合前に歌われる『アイム・フォーエバー・ブローイング・バブルズ』は、クラブのために作られた曲ではない。1919年の米国録音に残る歌が、東ロンドンの学校で一人の少年の愛称と結びついた。学校とクラブをつないだのは、校長と指導者の関係だった。

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124

「新潟」を名前から外すまで22年 シンガポールの育成拠点がFCジュロンになった

2004年にアルビレックス新潟の海外拠点として始まったチームは、2026-27シーズンからFCジュロンを名乗る。22年の間に変わったのは名前だけではない。日本人選手の実戦経験をつくる場から、シンガポール人が中心の地域クラブへ、役割が段階的に移ってきた。

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123

天然芝を三つに割り、人工芝を出す トッテナムの25分と4時間

トッテナム・ホットスパー・スタジアムには、サッカーと米国のNFLが使う一枚の兼用ピッチはない。上は天然芝、下は人工芝。サッカー面を三つに分けて動かし、二つの競技面を使い分ける。ここでいう25分は、イベント全体ではなく芝を収納する時間だ。

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122

11万4504人に会長を選ぶ票がある バルセロナで「会員が決める」はどこまで本当か

FCバルセロナは、個人オーナーや上場企業が所有するクラブではない。2026年3月の会長選では、条件を満たす11万4504人の会員が投票権を持った。ただし、予算や決算を全会員が直接採決するわけではない。会長選と代議員総会という二つの仕組みを分けると、「ソシオのクラブ」の実像が見えてくる。

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121

白黒のチェック柄は、街の反人種差別音楽だった コヴェントリーが2トーンを着る理由

イングランド中部の都市コヴェントリーを本拠とするコヴェントリー・シティは、2019年に白黒のチェック柄をサードユニフォームへ入れた。単なる復刻柄ではない。街で1979年に生まれた音楽レーベル「2トーン」が、人種の違う若者を同じ舞台へ集めようとした視覚表現だった。

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120

議決権75.5%を残し、経済持分は53.6%へ ハーツが発行した29%の無議決権株

スコットランドの首都エディンバラに本拠を置くハート・オブ・ミドロシアン、通称ハーツでは、サポーター組織が議決権の75.5%を握る。2025年、外部投資家トニー・ブルームが986万ポンドを投資し、発行済み全株式の29%を得た。ブルームの株に議決権はない。一方、サポーター組織の経済持分は53.6%になった。同じ「持分」でも、お金を受け取る権利と意思決定権は別にできる。

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119

最初から5クラブ全部ではなかった ラス・パルマスが二段階でつくった「島の代表」

UDラス・パルマスは1949年、スペイン領カナリア諸島のグラン・カナリア島で生まれた。五つのクラブをまとめた『島の代表』として知られるが、全クラブが同じ日に消えて一つになったわけではない。全国大会への入口を先につくり、昇格後に統合を完成させた。

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118

21分の拍手だけではない エスパニョールが背番号21を育成選手へ渡す理由

バルセロナのクラブ、エスパニョールでは、ホーム戦の21分に拍手が起きる。2009年に26歳で亡くなった主将ダニ・ハルケを悼む時間だ。ただし、クラブが残したのは追悼の習慣だけではない。トップチームの背番号21を、育成組織出身者へ渡す仕組みに変えた。

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116

クラブ名は「ニューウェル先生の卒業生」 ロサリオの学校から始まった赤黒

ニューウェルズ・オールドボーイズは、アルゼンチン中部の都市ロサリオを本拠とする。「オールドボーイズ」は年齢を表す愛称ではない。英語で学校の卒業生を指す言葉で、クラブをつくったのはニューウェル家の学校で学んだ人々だった。

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115

サッカーファンの「不安」を顔にした パーティック・シッスルで10年続くキングスリー

スコットランド最大都市グラスゴーのクラブ、パーティック・シッスルには、約2.1メートルの黄色いマスコットがいる。名前はキングスリー。2015年の登場時には「恐ろしい」「ひどい」と評されたが、2025年には10歳の誕生日がホーム開幕戦の企画になった。

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114

10%だったファン株は1%で残った パルマ再建で消えなかった街の持分

イタリア北部エミリア=ロマーニャ州の街パルマで、クラブは2015年に破産した。地元企業7者が新会社をつくり、サポーターも株主になった。その後、外部の大株主が入ってファン持分は10%から1%へ縮んだが、2026年3月の株主構成にも残っている。

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113

1952年に開場、1954年にプロ参入 プーマス本拠地はUNAMの世界遺産キャンパスにある

エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオが開いたのは1952年11月20日。プーマスUNAMが2部で最初のプロ公式戦を行ったのは1954年9月12日だった。二つの日付の間には1年10か月近い開きがある。先に造られた競技場はいまも本拠地で、競技場を含むメキシコ国立自治大学(UNAM)の中央キャンパスは2007年に世界遺産へ登録された。

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112

遠征で2週間離れても、教室へ戻す リーベルが学校と大学を持つ理由

リーベル・プレートは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに本拠を置く。クラブには初等・中等学校と、スポーツ分野の大学機関IURPがある。育成年代の選手は遠征で2週間以上教室を離れることもある。学校を持つ意味は、選手を囲うことより、競技で抜ける時間を学びへ戻すところにある。

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111

名前だけでなく、所有と本拠地も変えた 5万9186席へ移った「OLリヨンヌ」

フランス女子の強豪オリンピック・リヨン女子は、2025年5月19日に「OLリヨンヌ」へ改称した。変わったのは呼び名だけではない。女子チームを運営する独立会社、全ホーム戦を行う大規模競技場、女子選手向けの専用拠点を一緒に動かした再編だった。

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109

育てたクラブへ、出場でも移籍でもお金を戻す ミッティラン136クラブの地域育成網

FCミッティランは、デンマーク中西部のイカストFSとヘアニング・フレマズが1999年に合流して生まれた。クラブが引き継いだ地域網は、それより1年早く17クラブで始まり、2025年10月には136クラブへ広がった。選手を集めるだけでなく、連絡手順と金銭還元まで決めた育成網だ。

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108

5000席の本拠地に、4000人超がプレーする ブロマポイカルナの巨大な入口

IFブロマポイカルナは、スウェーデンの首都ストックホルム西部ブロンマを拠点とするクラブだ。本拠地グリムスタIPは約5000人収容。一方、2025年の『ガーディアン』取材では、競技会員が4000人を超え、チームは数百にのぼった。スタンドの規模だけでは、クラブの日常の大きさは分からない。

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106

ピッチは道路より8.35メートル高い モナコが駐車場の上に本拠地を置いた理由

ASモナコの本拠地スタッド・ルイ・ドゥは、海を埋め立てたフォンヴィエイユ地区に立つ。ピッチは道路より8.35メートル高く、その下に4層の駐車場がある。国土の小さなモナコ公国で、一つの区画へ競技場、体育館、プール、事務所を重ねた本拠地だ。

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105

欧州4冠の女子クラブが、名前を手放して統合した 1.FFCフランクフルトの2020年

1.FFCフランクフルトは、国内リーグ7回、ドイツ杯9回、欧州大会4回の優勝歴を持つ女子クラブだった。2020年、同じ街の総合クラブ、アイントラハト・フランクフルトへ統合された。消えたのは独立クラブの名称だが、トップと育成のチームは新しい組織へ引き継がれた。

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104

三面を高く、一面を薄く ボカの「D型」本拠地が街に収まる形

ボカ・ジュニアーズの本拠地ラ・ボンボネーラは、上から見るとアルファベットのDに近い。三方向には急なスタンドが重なり、残る一面は薄い。ブエノスアイレスの古い港町にある競技場は、大きさより「どう収まっているか」を見ると印象が変わる。

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103

青いクラブを「ペンショナーズ」と呼んだ チェルシーの赤い服の隣人

チェルシーFCの古い愛称は「ペンショナーズ」だった。ここでいう年金生活者は、一般の高齢者ではない。スタンフォード・ブリッジ近くの王立病院で暮らす、英国陸軍の退役軍人たちだ。青いクラブの名前には、赤い正装の隣人が残っている。

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102

紋章のワシを、試合前に飛ばす ベンフィカで続く儀式と廃止要請

ポルトガルの首都リスボンを本拠地とするベンフィカは、ホーム戦前に生きたワシを飛ばす。紋章の鳥がスタジアムを旋回する儀式は、クラブの象徴を動く姿にしたものだ。一方で、動物を試合演出に使わないよう求める声も続いている。

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101

南アフリカでの英国軍敗戦が、アンフィールドの客席名になった 「コップ」に残る1900年

リヴァプールの本拠地アンフィールドで、熱心なサポーターが集まるゴール裏は「コップ」と呼ばれる。語源は南アフリカの丘、スピオン・コップだ。1900年、英国軍が敗れた戦場の名が、6年後に新しい立ち見席へ移った。現在の客席名には、歓声より前の戦争の記憶が残っている。

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100

2016年に決めた30ポンドを、さらに2季据え置く プレミアがアウェー席に上限を置く理由

イングランドのプレミアリーグでは、アウェーサポーター向け入場券の価格に30ポンドの上限がある。2026年3月19日、20クラブはこの上限をさらに2季続けると全会一致で決めた。2016-17季から数えると12季連続になる。英国サッカーの価格が上がる中で、遠征席だけは全クラブ共通の天井を保っている。

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99

アトレティコは、ビルバオの「マドリード支部」だった 青白から赤白へ分かれた二つのクラブ

アトレティコ・マドリードとアスレティック・クルブは、名前が似ているだけではない。1903年、マドリードにいたバスク地方出身の学生たちが、ビルバオ側の支部をつくった。最初は同じ青と白を着て、後には同じ50着の中から赤白を分け合った。現在は別々のクラブだが、名前と色には親クラブと支部だった時代が残っている。

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97

最初にそろえた赤は12個の房付き帽子 フォレストからアーセナルへ渡った色

ノッティンガム・フォレストの赤は、創設時から「ガリバルディ・レッド」と呼ばれた。最初にそろえたのはシャツではなく、12個の帽子だった。その色は約20年後、ロンドンで生まれたアーセナルへ渡る。

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96

クラブ、競技場、審判を閉ざしても6万人が続けた ドイツ女子サッカー禁止の15年

ドイツサッカー連盟(DFB)は1955年、加盟クラブの女子部門、競技場の貸し出し、審判の参加をまとめて禁じた。これは国の法律ではなかったが、公式競技への入口を閉ざした。それでも女性たちはDFBの外でプレーを続け、15年後に連盟を動かした。

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競技場の配置編集部作図
95

岩壁をゴール裏に残した ブラガ市営競技場が観客席を二面に絞った理由

ポルトガル北部にあるブラガ市営競技場は、約3万人分の観客席を両タッチライン沿いに集めた。一方のゴール後方には採石場の岩壁、もう一方には谷が開く。2003年の完成までに掘り出した花崗岩は、競技場のコンクリートへ戻された。地形、材料、観戦位置を一つの工事で結んだ本拠地だ。

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創設までの流れ編集部作図
94

教会の青年会から始まった ハイバーニアンが移民の若者に渡したボール

スコットランドの古都エディンバラにあるハイバーニアンは、1875年、アイルランド系住民が多く暮らすカウゲートで生まれた。「ハイバーニア」はアイルランドのラテン語名だ。教会の青年会がつくったチームには、若者を飲酒や軽犯罪から遠ざけ、街の中に居場所をつくる役目もあった。

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二つの育成経路編集部作図
93

育成組織を閉じ、6年後に戻した ブレントフォードがBチームを残した理由

ブレントフォードは2016年、9歳から続くアカデミーを閉じ、17〜21歳を中心とするBチームへ集中した。プレミアリーグ昇格後の2022年にはアカデミーを再開し、2026年に最高区分のカテゴリー1へ上がった。それでもBチームは廃止していない。二つは同じ若手組織ではなく、育成年代とトップ直前で役割を分けている。

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92

3万人と700社が建て、市へ渡した ガンバ大阪の本拠地が『クラブ所有』ではない理由

パナソニックスタジアム吹田は、ガンバ大阪が自社資金だけで建てた本拠地ではない。3万人を超す個人と700社を超す企業から寄付を集め、助成金などと合わせて140億円以上を用意した。完成後の所有者はクラブでも募金団体でもなく、吹田市だ。ガンバは市有施設を使うだけでなく、日々の運営と修繕も担っている。

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91

教師と不動産営業が、休暇を使って世界大会へ オークランド・シティの『アマチュア』

2025年のFIFAクラブワールドカップで、オークランド・シティは32クラブで唯一のアマチュアだった。選手は遠征のために有給休暇を使い、なかには無給で仕事を休む人もいた。ボカ・ジュニアーズ戦で得点したクリスチャン・グレイは体育教師だ。世界大会への参加は、彼らの日常をいったん止めることでもあった。

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90

自分の名と米国のクラブを一つにした カイザー・チーフスが二つの大陸を背負う名前

南アフリカのカイザー・チーフスは、創設者カイザー・モタウングの名前だけを掲げたクラブではない。「カイザー」は本人から、「チーフス」は米国で所属したアトランタ・チーフスから取った。クラブ名には、ソウェトからアトランタへ渡り、戻って新チームをつくった一人の選手の経路が入っている。

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89

街と競技場は「Feijenoord」、クラブは「Feyenoord」 なぜyだけが残ったのか

オランダの名門フェイエノールトを現地で見ると、二つの綴りに出会う。クラブはFeyenoord。ロッテルダムの地区と本拠地の正式名はFeijenoordだ。誤記が残っているのではない。国外で読みやすいようクラブだけがyを選び、街と競技場は元のijを保った。

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88

食料品店の店先の緑が、スタジアム名まで残った サンテティエンヌとカジノ社

フランスのASサンテティエンヌが「緑の人々」と呼ばれる起点は、食品小売大手カジノ社にある。前身は同社の従業員クラブだった。緑と白は会社の色で、本拠地には創業者ジョフロワ・ギシャールの名が残る。ただし、現在の競技場を会社が所有しているわけではない。

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87

北アイルランドの街から、共和国のリーグへ デリー・シティが13年かけて戻った場所

デリー・シティは、英国を構成する北アイルランドの街に本拠を置きながら、アイルランド共和国側のリーグで戦う。珍しい越境クラブとして紹介されがちだが、始まりは制度上の工夫ではない。紛争期に本拠地で試合をできなくなり、リーグから離れた街が、13年後にシニアサッカーを取り戻した結果だった。

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86

「オールド・ボーイズ」にならった「ヤング・ボーイズ」 ベルンの高校生4人が選んだ名前

スイスの強豪BSCヤング・ボーイズは、若手だけのクラブだからその名になったわけではない。1898年、首都ベルンの高校生4人が、当時人気だったバーゼルのオールド・ボーイズにならって名づけた。黄色と黒のクラブカラーまで、同じ先輩クラブから受け継いでいる。

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85

消えたクラブの頭文字が、27年後も残る 横浜F・マリノスの「F」は何を引き継いだか

横浜F・マリノスの「F」は、装飾ではない。1998年に合併が発表され、1999年元日に最後の公式戦を迎えた横浜フリューゲルスの頭文字だ。名前は27年後の2026年も残る。ただ、その一文字だけで、二つのクラブの歴史が等しく一つになったと言い切ることはできない。

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84

入場料を食事へ変えるために生まれた セルティックが本拠地を週4回開く理由

セルティックの出発点は、トロフィーでも地域対抗意識でもない。19世紀末のグラスゴー東部で、仕事を得にくかったアイルランド系移民とその子どもに食事を届ける。その資金を有料試合で集めようとして、クラブは生まれた。現在、財団は本拠地セルティック・パークを週4回、無料の温かい食事の場として開いている。

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83

株の過半数を持っても、取締役会は同数票まで11年かかった エクセターのファン所有

エクセター・シティは、イングランド南西部デヴォン州のクラブだ。サポーター組織は2003年に株式の過半数を取得した。しかし、クラブ取締役会で同数の票を得たのは2014年だった。「クラブを持つ」には、株主になることと、日々の経営判断へ加わることの二段階があった。

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82

ファンが救い、ファンが売却を決めた ポーツマスの4年間が示す「所有」の二つの役目

イングランド南部の港町を本拠とするポーツマスFCは、2013年にサポーターの資金で経営危機を抜けた。ところが4年後、そのサポーター自身が外部オーナーへの売却を選ぶ。ファン所有は、持ち続けることだけを意味しなかった。

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81

創設帳簿にイタリア人の名が現れるのは5年後 ジェノアが港町で開いたサッカーの入口

クラブ名が今も英語なのは偶然ではない。ジェノアCFCは1893年、イタリア北西部の港町ジェノヴァに暮らす英国人のスポーツクラブとして始まった。保存された帳簿にイタリア人とスイス人の会員名が現れるのは1898年。国内最初の選手権へ進むまでに、クラブの内側も変わっていた。

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80

サッカークラブより34年先に開いた ブラモール・レーンが118年続けたクリケット

シェフィールド・ユナイテッドの本拠地ブラモール・レーンは、サッカー場として生まれたわけではない。英国中部シェフィールドで1855年に開いた用途はクリケット。サッカークラブの創設は34年後で、その後も二つの競技が長く同居した。

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79

土地は1クローネ、最初の公式戦は女子 ヴォレレンガが104年目に持った本拠地

ノルウェーの首都オスロ東部を拠点とするヴォレレンガは、創設から104年を経た2017年に、初めて自前の本拠地を持った。市から渡った土地の価格は1クローネ。ただし、その一言だけでは建設の負担も公的支援の大きさも分からない。開場の最初の公式戦を任されたのは女子チームだった。

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78

入場券で路面電車に乗れる ヴェルダーの本拠地が車を近づけにくくする方法

ヴェルダー・ブレーメンの本拠地ヴェーザーシュタディオンは、ドイツ北部ブレーメンの市街地で、ヴェーザー川の堤防沿いに立つ。試合日は周辺の車を止め、入場券を公共交通の切符にもする。船と自転車にも別のルールがあり、観客の移動そのものが競技場運営に組み込まれている。

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77

大豆とプラントミートの構想から、野菜と電気へ 水戸ホーリーホックが農事業を広げた順序

水戸ホーリーホックは2025年6月、茨城県城里町の耕作放棄地約2000平方メートルで営農型太陽光発電を始めた。年間発電量は10万kWhの見込みだ。電気は町内の二つの物産施設へ送る。始まりは2021年の農事業だった。大豆とプラントミートの構想は、そのまま実現したわけではない。土地と作物、電気の使い先を一つずつ組み替えてきた。

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76

地場産業を競技場名にした ヴィラレアル「セラミカ」は陶磁器会社の共同ショールーム

スペイン東部カステリョン県の小都市ビラ=レアルには、陶磁器産業とサッカークラブを同じ名で見せる競技場がある。ヴィラレアルCFは2017年1月8日、約92年続いた「エル・マドリガル」を「エスタディオ・デ・ラ・セラミカ」に変えた。単独企業の命名権ではない。複数の地元企業が参加する仕組みだった。

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75

民間で建てた女子専用競技場、その次は公民連携を審議へ カンザスシティの拡張案

米国ミズーリ州カンザスシティのNWSLクラブ、カンザスシティ・カレントは、2024年にCPKCスタジアムを開いた。1万1500席、建設費1億4000万ドル。港湾開発公社Port KCによると、所有者グループが全額を賄った。次の河岸地区拡張では、市の資金を組み合わせる案が審議されている。ただし、完成した競技場、別都市の選手施設、審議中の地区開発は別の計画だ。

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74

男子クラブの女子部門にならなかった グラスゴー・シティが1998年から守る独立

スコットランド女子リーグのグラスゴー・シティは、男子の有力クラブが女子部門を強化する流れとは別の道を歩いてきた。女性二人が1998年に始め、2023年には16度目のリーグ優勝を達成した。ただし、独立は孤立を意味しない。クラブは自分たちで意思決定を続けながら、リーグや競技場、協賛企業との関係を積み上げてきた。

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73

セルティックから届いても、すぐ定着しなかった ベティス緑白の寄り道

レアル・ベティスの緑と白は、セルティックとのつながりで語られることが多い。ただ、1910年に初めて着た色が、そのまま定着したわけではない。第一次世界大戦中には単色の緑や青へ戻り、緑白が再び確認できるのは1919年だ。色の由来には、スコットランドの学校とセビリア港を結ぶ物流まで映っている。

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名前をすぐ変えず、1季だけ同じ練習場へ レアル・マドリード女子の「タコン」期間

レアル・マドリード女子は、発表の日にゼロから生まれたチームではない。2019年に1部へ昇格したCDタコンを吸収する方針を決め、会員総会の承認を経て、2020年7月1日に名称を切り替えた。その間の2019-20季、選手たちはレアルの練習場を使いながら、公式戦ではCDタコンとしてプレーした。

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週3回の無料練習を27地点へ シャフタールが地域に置いた「Come On, Let’s Play!」

シャフタール・ドネツクは2013年から、子ども向けの無料サッカー事業「Come On, Let’s Play!」を続けている。2025年10月21日のクラブ発表では、ウクライナ国内27地点で7~12歳の1300人超が参加していた。プロ選手を選ぶアカデミーとは違う。地域の指導者、用具、週3回の練習を一組にして、普段からボールを蹴れる場所を残す事業だ。

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70

女子チームをBlueCo直下へ チェルシーが「男子と並列」にした法人再編

チェルシーは2024年6月、女子チームの会社を男子クラブの子会社から、所有グループBlueCoの直下へ移した。クラブが使った言葉は、男子チームの「横に置く」だった。2024-25年度、女子会社の売上高は1150万ポンドから2130万ポンドへ増えたが、1710万ポンドの損失も残った。法人を分けた意味は、増収だけでは読み切れない。

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胸に会社名ではなく地域名 PSVを7社・組織が一緒に支える「Brainport Eindhoven」

PSVのユニフォーム胸にある「Brainport Eindhoven」は、一社の企業名ではない。オランダ南部アイントホーフェン周辺の産業地域を示す名前だ。2019年、地元の大手企業など5組織が共同でスポンサーになった。参加と役割変更を経て、現在は7社・組織が同じ地域名を掲げている。

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68

優勝パレードの主役は、もとの港湾作業船 アスレティックが40年ぶりに戻した「ガバラ」

アスレティック・クルブは2024年4月、40年ぶりに国王杯を制した。スペイン北部バスク州ビルバオのクラブが選んだ祝賀の舞台は、バスの屋根ではない。選手たちは「ガバラ」と呼ばれる平底の作業船に乗り、河口を約2時間かけて進んだ。祝賀用に造られた船ではない。もとは港で貨物を運び、工業都市の日常を支えた道具だった。

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67

「50%+1票」があっても終わらない ドイツが8年かけて問うクラブ会員の実権

ドイツの連邦カルテル庁は2026年8月12日、ブンデスリーガの「50+1」規則に競争法上の根本的な異議はないとする最終評価を公表した。ただし、現行制度のすべてをそのまま認めたわけではない。例外の扱い、組織の透明性、会員が実際に参加できる仕組みには修正の余地が残る。8年以上の調査は終わったが、次に制度を詰めるのは1部と2部の36クラブだ。

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66

ゴール裏2万8000席を、ファン団体が売っていた マルセイユが2015年に戻した販売権

フランスのオリンピック・マルセイユでは、クラブがゴール裏の年間席を割安でサポーター団体へ渡し、団体が会員へ販売する仕組みが長く続いた。2015年時点の対象は北・南のゴール裏2万8000席、報道では9団体だった。同年10月、クラブは8団体と、全入場券を自ら販売する原則で合意する。数字が一つ違うのは、旧制度の参加数と合意文書の署名数が別だからだ。

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65

30の刑務所事業に1578人 レアル財団が勝敗より先に教えること

レアル・マドリード財団は2025-26年度、スペイン各地の刑務所でサッカーとバスケットボールの社会スポーツ事業を30件行った。参加者は1578人。レアルの名が付いていても、有望選手を探す場ではない。毎週の活動で尊重や責任、チームワークを扱い、社会復帰を支える教育事業だ。

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64

週3回の練習より先に学校 マルメFFのアカデミーで98%が高校進学資格を得た

スウェーデン南部の強豪マルメFFは、クラブ施設だけで選手を育てているわけではない。地域の学校にコーチを送り、時間割の中でサッカーと学習を組み合わせる「学校アカデミー」を2005年から続ける。クラブの2024年報告では、修了生の98%が高校へ進むための成績要件を満たした。プロ契約率ではなく、学校の出口を追う数字だ。

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63

音を弱め、客席へ少しずつ サンダーランドが感覚過敏の観戦に用意する6枠

大歓声は、誰にとっても同じように楽しいわけではない。イングランド北東部のクラブ、サンダーランドは2015年、本拠地スタジアム・オブ・ライトに感覚過敏のある人向けの観戦室を開いた。現在の予約案内はホーム1試合につき利用者6枠。音を完全に消さず、刺激を弱めた場所から屋外席へ少しずつ移れるようにする。

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62

66人が亡くなった13番階段 アイブロックスの惨事が全国の安全基準に変わるまで

英国の競技場安全で使われる「グリーン・ガイド」は、1971年のアイブロックス惨事後に薄いA4冊子として始まった。66人が亡くなった13番階段の事故は、設備だけでなく、警察、救護、群衆管理を同じ基準で考える転換点になった。指針と法律は、事故のあとにどう役割を分けたのか。

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61

ライバルの色が本拠地を埋めた ブライトン「Fans United」から14年の仮住まいへ

1997年2月8日、ブライトンの本拠地に、別のクラブのシャツを着た人々が集まった。呼びかけたのは、プリマス・アーガイルを応援する15歳のリチャード・ヴォーンだった。土地も資金も持たないサポーター同士の連帯は、クラブが14年後に街の新しい本拠地へ戻るまで、何を残したのか。

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60

公式史は「Rossbach」、公文書調査は「Rorschach」 ボローニャの赤青を運んだ学校の住所

ボローニャFCの赤と青は、初代主将アッリーゴ・グラーディがスイスの学校で着ていたシャツに由来する。クラブ公式史は学校を「Rossbach」と記す。ところが、公文書を調べた地元の歴史団体が示した住所は「Rorschach」だった。似た二つの綴りから、色の由来と学校の場所を分けて考える。

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58

「Dundee City」を登記しても使えなかった 隣クラブとの交渉がUnitedを生んだ1923年

ダンディー・ユナイテッドは1923年、「Dundee City」という会社名まで登記していた。それでもピッチで使った新しい名は「United」だった。同じ街のダンディーFCが、Cityでは相手が街の代表に見えると反対したからだ。改名の前には、クラブが消えかねない危機とリーグ復帰があった。

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57

ダッハウ33日を経て、1947年に会長へ戻った バイエルンがラントアーを現在形で記憶する理由

バイエルン・ミュンヘン初のドイツ王者を率いた会長は、翌年、ユダヤ系であることを理由に職を追われた。クルト・ラントアーはダッハウ強制収容所への収容とスイス亡命を生き延び、戦後の会員投票で会長へ戻る。クラブがこの人物を語るなら、優勝と復帰だけでなく、排除に合わせた自らの歩みも外せない。

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55

売らずに贈った命名権 QPRが本拠地を15歳の育成選手の名前で呼んだ3季

ロンドン西部のクイーンズ・パーク・レンジャーズは2019年、本拠地の命名権を企業へ売らなかった。サポーター投票を経て、地域の慈善団体へ無償で渡した。競技場は3季にわたり、15歳で亡くなった育成選手キヤン・プリンスの名を掲げた。

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53

試合がない平日も134人が通う ザンクト・パウリ本拠地の中にある保育園

ドイツ北部ハンブルクのFCザンクト・パウリには、試合日だけ開く託児所ではない保育園がある。本拠地ミラントア・シュタディオンの一角にある「ピラーテン・ネスト」だ。現在の運営者案内では、11カ月から就学前までの134人が8グループに分かれて通う。競技場の空間が、平日の朝から夕方まで街の生活に使われている。

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52

2万3000人の94%が差別語になり得ると認め、55%は現状を支持した トッテナム「Y-word」調査のねじれ

94%と55%。正反対に見える数字が、同じ調査に並んだ。イングランドのトッテナム・ホットスパーが2万3000人を超える回答を集めると、94%は「Y-word」がユダヤ人への差別語になり得ると認めた。一方、55%はサッカーの場で当時の使い方を続けることに賛成した。矛盾というより、言葉の歴史と現在の届き方を別々に尋ねた結果だった。

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51

1株10.75ユーロを世界へ レアル・オビエドを救った小口株主と大口投資の順番

2012年11月、スペイン北部アストゥリアス州のレアル・オビエドは3部にいた。さらに深刻だったのは、資本不足でクラブが解散手続きへ進みかねないことだった。クラブは1株10.75ユーロで世界から出資を募る。約2万人が193万ユーロ分を買い、その後にメキシコのカルソ・グループが200万ユーロを投じた。救済は「ファンか富豪か」の二択ではなく、役割の違う資金が順番に重なった出来事だった。

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50

工場で生まれ、売却から11年後にユニフォームへ戻った プジョーとソショーの新しい距離

FCソショー=モンベリアールは、フランス東部の自動車工業地帯に生まれたクラブだ。創設したプジョーは2015年に経営から離れた。それから11年後の2026年、同社の名はトップチームのシャツへ戻った。ただし、立場はオーナーではなく、5年間の主要スポンサーである。

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49

北スタンドに教室も入れた エイバルが住宅と斜面の間で8164席まで広げた方法

スペイン北部バスク州の工業都市エイバルは、2025年1月時点で人口2万7540人。市営のイプルア競技場は、住宅と斜面に挟まれた同じ場所で改修を重ね、現在8164席を備える。2015年に完成した北スタンドには、観客席だけでなく教室と事業スペースも入った。

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48

19ユーロで置かれた2万人の「分身」 グラートバッハの無観客席をファンが埋めた方法

2020年春、ドイツのブンデスリーガは新型コロナ禍で無観客再開へ向かった。メンヒェングラートバッハの本拠地ボルシア・パルクでは、空席に等身大の段ボール製パネルが並んだ。クラブの広告企画ではない。ファン団体が始め、1体19ユーロの代金は制作だけでなく雇用と支援にも回った。

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47

リーグはスイス、欧州への入口は自国杯 FCファドゥーツが二つの国で戦う仕組み

FCファドゥーツは、スイスとオーストリアに挟まれた小国リヒテンシュタインの首都クラブだ。リーグ戦はスイスで戦い、欧州大会への入口は自国のカップ戦にある。2026年はスイス2部を制して昇格し、リヒテンシュタイン杯も優勝した。二つの国にまたがる仕組みが、同じシーズンに重なった。

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46

「リーフ148台分」の電池を競技場へ アヤックス本拠地が電力の波をならす方法

ヨハン・クライフ・アレナは、アムステルダムにあるアヤックスとオランダ代表の本拠地だ。2018年、ここに電気自動車「日産リーフ」148台分に相当する蓄電池が入った。太陽光をためるだけではない。試合やコンサートで急に膨らむ電力需要をならし、停電時には予備電源になる。

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45

2975人の「立つ席」をつくった セルティックが応援の熱を設備と入場管理に分けた理由

セルティック・パークは、スコットランドのグラスゴーにあるセルティックの本拠地だ。2016年、ここに2975人分のレールシートが入った。大事なのは「立てる席」を置いたことだけではない。誰が入るか、どこへ動けるか、何人の係員が見るかまで、応援の熱を管理する仕組みに変えた。

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44

赤青の試合日から、紫の車で六つの街へ リヴァプールとエヴァートンの食料支援

リヴァプールには、赤いリヴァプールFCと青いエヴァートンFCをまたぐ食料支援がある。始めたのはクラブではなく、両クラブのサポーターだった。2015年の小さな回収活動は、本拠地での共同受付、紫色の車、六つの地域パントリーへ広がった。数字を追うと、寄付を集める運動から、食料を受け取りやすい場所を街に置く仕組みへ変わったことが分かる。

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43

親が直接申し込めない「クラブの学校」 エヴァートンが13〜19歳を学びへ戻す仕組み

エヴァートン・フリースクールは、イングランド北西部リヴァプールにある13〜19歳の共学校だ。プレミアリーグのエヴァートンFCを名乗るが、選手を選抜する育成組織ではない。主流の学校とは別の環境を必要とする若者を、在籍校や自治体からの紹介で受け入れる。保護者が直接、席を申し込めないことに、この学校の役割が表れている。

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42

第1回W杯の33年前、リメはクラブを作った レッドスターは800人超に文化も教える

FIFA会長として第1回ワールドカップを実現したジュール・リメは、その33年前、24歳でパリのレッドスター創設に関わった。クラブはのちにパリ北郊サン=トゥアンへ移り、現在はサッカーと芸術を組み合わせる無料講座も開く。1897年の理念が同じ制度のまま続いたわけではない。それでも、競技だけに閉じないクラブの姿は別々の時代に現れている。

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41

246人の小口投資から、米ファンドの少数出資へ ヴィクトリア・ベルリン女子の「クラブと会社」

ドイツの首都ベルリンにあるFCヴィクトリア1889ベルリンは、2022年に女子トップチームの運営を別会社へ移した。6人の女性が始め、2024年には246人から70万ユーロ超を集めた。翌年には米国の女子スポーツ投資会社が少数株主として加わった。会員制クラブの名前と競技基盤を残し、成長資金だけを会社で集める関係が変化している。

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40

リーグ首位の11人がまとまって志願した ハーツの記念碑が競技場ではなく街に立つ理由

第一次世界大戦中の1914年、スコットランド・リーグ首位のハート・オブ・ミドロシアン、通称ハーツから11人の選手が「マクレー大隊」へまとまって志願した。のちの資料は、クラブと関係した選手を16人とも数える。最初の集団と、その後まで含む人数は同じではない。記念碑は競技場ではなく、エディンバラの交通拠点ヘイマーケットに立っている。

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39

5試合を無料にしたが、3部ではいったん休む デュッセルドルフ「Fortuna für alle」の現実

フォルトゥナ・デュッセルドルフは、2023-24季から無料のホーム試合を3、4、5試合と増やした。2025-26季までの3年間で計12試合になる。ところが2026年、3部降格を受けて無料試合を休止した。入場料を消すのではなく、協賛収入へ置き換える試みは、カテゴリーが変わった時に最も厳しい試験を受けた。

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38

プレミア昇格で、新作を毎年売らなくてよくなった ブレントフォードの「2季シャツ」

ブレントフォードは2021年、初めてプレミアリーグで着たホームシャツを翌季にも残した。理由は環境だけではない。1部昇格で放送・商業収入が物販売上を大きく上回り、新作を毎年出さなくても収入へ重大な影響は出にくいと判断した。2025年の一季だけの例外にも、クラブは理由を示している。

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37

胸スポンサーから「議決権なし」の1.4%株主へ エド・シーランとイプスウィッチ

世界的な歌手エド・シーランは、イプスウィッチ・タウンの胸スポンサーを4季務めたあと、クラブの1.4%を取得した。ただし議決権はなく、取締役にもならない。広告、出資、知名度を生かした協力は、同じ「支援」でも役割が違う。

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36

白いパンツを、次の新作まで待たずに替えた マンチェスター・シティ女子と月経の不安

マンチェスター・シティ女子は2022年10月、月経時の漏れへの不安を受け、白いパンツをやめた。翌季の新商品を待たず、そのシーズン中からアウェー用のえんじ色を使った。選手個人に対策を任せず、クラブと用具メーカーが供給する側の問題として扱った。

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35

選手の優先権だけではなかった FCメスがセネガルの育成校へ20年以上通う理由

フランス北東部ロレーヌ地方のFCメスは、セネガルの育成組織ジェネレーション・フットと2003年から提携している。メスが得たのは、有望選手を先に選べる権利だけではない。ダカール郊外の施設には寄宿舎、食堂、高校、天然芝のピッチがそろい、選手はプロを目指しながら学校へ通う。移籍の前後を支える仕組みが、20年以上続いている。

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34

外国人は認めても、バスク外のスペイン人はまだ呼ばなかった ソシエダとオルドリッジの1989年

レアル・ソシエダは1989年、リヴァプールからジョン・オルドリッジを獲得した。クラブ公式が『現代で最初の外国人』と呼ぶ移籍だ。ただし、バスク出身者以外を一度に広く受け入れたわけではない。外国人は認めても、バスク地方外のスペイン人はまだ獲らない。そんな折衷案から始まった。

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33

2季分を無償で渡し、16年後は規制で空いた一試合へ ヴィラと小児ホスピスAcorns

アストン・ヴィラは2008年、ユニフォーム胸部を小児ホスピスAcornsへ無償で提供した。掲出は2季続いた。2024年に同じロゴが欧州戦で戻ったのは、商業スポンサーを再び長期で外したからではない。オランダの広告規制で空いた一試合に、16年続く関係を置いたものだった。

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32

13〜20歳の22人が創設し、翌年に加わった学生が会議の言葉を変えた ナシオナルの1899年

クラブ・ナシオナル・デ・フットボールは1899年5月14日、ウルグアイの首都モンテビデオで13〜20歳の若者22人が設立した。だが、リーグ会議をスペイン語で行うよう求めたミゲル・ネベルは、その22人ではない。翌年に別クラブから加わった学生だった。創設者と後発組の仕事を分けると、『ナシオナル』という名が一度の会議だけで完成した理念ではなかったことが見えてくる。

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31

芝を傷めた庭師たちに、男爵は別の土地の賃料を出した ファースト・ヴィエナの1894年

オーストリア最古のサッカークラブとされるファースト・ヴィエナFCは、競技場から始まったわけではない。舞台はウィーンのロスチャイルド家の庭園だった。英国人庭師が同僚へ競技を教え、芝を傷めると、庭園主ナサニエル・ロスチャイルドはプレーを禁じた。だが追い出して終わらず、別の土地の賃料と活動費を負担した。

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30

相談担当者を、法律より先に置いた アスレティック『Aterpe』の未成年保護

育成組織の安全は、監督やコーチの善意だけでは守れない。スペイン北部ビルバオのアスレティック・クラブは、未成年者が相談できる担当者と手順を『Aterpe』という制度にまとめた。2019年には担当者がバスク議会で制度を説明していた。スポーツ団体へ同種の役割を求めるスペイン法ができたのは2021年だ。

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29

他クラブの選手を、サン・マメスで表彰する アスレティックが始めた「忠誠」の賞

選手を表彰するなら、自クラブの功労者を選ぶのが普通だろう。スペイン北部ビルバオのアスレティックは違う。2015年から、プロ生活を一つのクラブだけで送った他クラブの選手にOne-Club Awardを贈っている。賞を通して語るのは、受賞者の成績だけではない。アスレティック自身が何を大切にするクラブなのかも見えてくる。

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28

最終節の1点が、3クラブ統合の前提を守った FCユトレヒトの1970年

FCユトレヒトは、オランダ中部の都市ユトレヒトを本拠地とする。1970年7月1日、DOS、エリンクワイク、フェロックスという市内3クラブの統合で生まれた。ただし、新クラブが1部リーグから始めるにはDOSの残留が必要だった。統合交渉の最後に、リーグ最終節の1点が経営上の意味を持った。

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27

鉄道員だけのクラブを、街へ開いた ロサリオ・セントラルの1903年

ロサリオ・セントラルは、アルゼンチン中部の大都市ロサリオを代表するクラブの一つだ。だが1889年の入口は狭かった。会員になれたのは鉄道会社の従業員だけ。1903年、会社の統合をきっかけに会員資格とクラブ名を一緒に変えた。「ロサリオ」と「セントラル」という二語には、街と鉄道の両方が残った。

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26

市350万ユーロ、州は融資返済、クラブ100万 トリノ旧本拠地を戻した「財団」の分担

トリノFCの旧本拠地フィラデルフィアは、黄金期の記憶だけでは再建できなかった。市、州、クラブ、サポーターが同じ財団に入り、資金の出し方と意思決定の役割を分けた。2017年に戻ったのは、セリエAの試合会場ではなく、練習と育成に歴史をつなぐ場所だった。

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25

欧州スーパーリーグへの抗議後、16人を置く契約へ リヴァプールの「ファン同意」は二つだけ

2021年の欧州スーパーリーグ構想は、リヴァプールとサポーターの関係も揺らした。クラブは翌年、16人のSupporters Boardを契約と会社定款に組み込んだ。ただし、ファンが何でも拒否できる制度ではない。同意投票が必要な事項は、本拠地と離脱型大会の二つに絞られている。

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24

他クラブの参入枠を買わず、最下部から4連続昇格 ドルトムント女子が選んだ5年

ボルシア・ドルトムントは2021年、女子チームを最下部の地域リーグから始めた。他クラブのライセンスを買わず、4季で4回昇格した。5季目に連続昇格は止まったが、2026年にはドイツ代表の元主将アレクサンドラ・ポップが3部のチームへ加わった。遠回りを選んだクラブに、世界的な実績を持つ選手が合流するまでの5年だった。

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23

89人が門を越え、今は会員抽選で2万8500人 ウニオンのクリスマス合唱

12月23日、ベルリンのスタジアムに2万8500人が集まる。試合はない。クリスマスの歌とクラブの歌を、自分たちで歌うためだ。ウニオン・ベルリンの「Weihnachtssingen(クリスマス合唱)」は、2003年に89人のサポーターが閉じた門を越えた夜から始まった。20年余りで、無許可の集まりは会員抽選が必要な年中行事になった。

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22

眼科検診車が学校へ行く アストン・ヴィラが「約2万回の支援」で埋めた受診の空白

アストン・ヴィラのクラブ財団は、眼科検診車でバーミンガムの小学校を回っている。教室で目の仕組みを伝え、簡易検査を行い、必要な子どもは車内で詳しく診る。処方眼鏡も無料だ。2025年までに記録した約2万は、診察した人数ではなく、授業や検査を合わせた延べの介入回数である。数字を分けて読むと、クラブが医療の入口に立つ理由が見えてくる。

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21

娘が気づいた静かな客席から、7000人の女子遠征へ ハンマルビーの応援が増えた順番

ハンマルビー女子の応援文化は、2023年のリーグ優勝と同時に生まれたわけではない。その数年前、シモン・サンドストレムは幼い娘と女子チームを見て、男子の試合で聞こえるような歌声がないことを指摘された。友人に声をかけ、拡声器を買い、試合前の集まりを始めた。やがて女子リーグの最終節には7000人を超えるファンが遠征した。

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20

余興で始まり、専用棟まで持った スタッド・ランス女子が全国リーグを降りた58年

1968年、ランスの見本市の余興として集まった女子チームは、フランス初期の王者になった。2021年には700平方メートルの専用棟も計画された。それでもクラブは2026年、トップチームを全国リーグへ登録しないと決めた。残すのは100人超の女子部門、失うのはプロとして戦う全国の席。この二つは同じではない。

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19

45分を数えたらFAに止められた アーセナルの時計が「Clock End」を残すまで

アーセナルの旧本拠地ハイバリーには、試合の45分を数える大時計があった。イングランド・サッカー協会(FA)は、その表示が審判の計時を損なうとして止めた。クラブは時計を外さず、普通の時刻表示へ変えた。45分表示は短命に終わったが、時計を置いたゴール裏の「Clock End」という名は新本拠地にも残った。

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18

選手の更衣室ではなく、男性が話す12週間 ハイバーニアン発「The Changing Room」

サッカーの話ならできても、自分の不安は話しにくい。スコットランドのハイバーニアンで2018年に始まった「The Changing Room」は、その距離を12週間かけて縮める講座だ。競技場でクイズや散歩をしながら、男性が心の健康を話せる関係をつくる。医療や危機対応ではないからこそ、必要な支援へつなぐ備えも組み込んだ。

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17

30か国8000人を、得点だけでは測らない インテルが6地域で試した社会事業の評価

インテル・ミラノの社会事業「インテル・キャンパス」は、2022年11月時点で30か国127地域に広がり、毎週8000人を超える子どもが参加していた。その広がりを参加者数だけで語らず、アンゴラなど6つの事業では、学校との関係や、暴力・飲酒・薬物を避けた経験まで尋ねた。30か国を同じ順位表に並べない評価だった。

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トップ32クラブは19対13で反対、それでもVARは残った ノルウェーの二段階投票

ノルウェー男子の上位2部32クラブは2025年1月、19対13でVARの継続に反対した。ところが3月のサッカー協会総会では、321対129でVARの維持・改善案が通る。結論は逆に見えるが、同じ有権者が考え直したわけではない。最初は上位クラブの会議、次は地域協会や下部クラブも加わる全国総会だった。

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195万ポンドの投資案が投票途中で消えた マザウェルの「71%」は何を守ったのか

スコットランドのマザウェルFCでは、2024年6月時点でサポーター組織が株式の71%を持っていた。そこへ、外部投資家が6年で195万ポンドを入れ、最終的に49%を持つ案が現れる。会員の56%が投票した段階で、その78.5%が反対していた。だが正式な否決結果はない。投資家が先に撤回し、クラブが票を数えずに投票を止めたからだ。

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14

26週間の授業から最初の有給仕事へ ランダースFCが14〜17歳に渡す「企業の入口」

デンマーク中部ユトランドのクラブ、ランダースFCには、プロ選手を選ぶためではない「ジョブ・アカデミー」がある。対象は、最初のアルバイトへ踏み出すのに支えが必要な14〜17歳だ。26週間かけて働く準備をし、クラブと自治体が地元企業への入口をつくる。育成という言葉を、ピッチの外へ広げた取り組みだ。

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13

三つのクラブを束ねても、ラツィオは入らなかった ASローマが1927年に背負った街の色

ローマとラツィオの対立は、同じ街に二つのクラブが生まれた、という単純な話ではない。ラツィオは1900年から存在した。ASローマは1927年、三つのクラブを一つにして作られた。そこには北部勢へ対抗する競技上の狙いがあり、ファシズム期の政治も重なった。それでも、街の統合は完成しなかった。

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12

永久欠番なのに、息子には開いている ミランの「3番」がマルディーニ家に残した条件

ACミランの3番は、パオロ・マルディーニの引退とともに使われなくなった。ところが、完全に閉じた番号ではない。息子がミランのトップチームへ進めば、再び使える余地が残された。永久欠番に付いた家族限定の例外は、どこまで決まっていたのか。

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11

14試合の収益をパリへ預けた バルセロナを残し、選手を散らした1937年北米遠征

1937年、スペイン内戦のさなかにFCバルセロナはメキシコと米国へ渡った。目的は親善だけではない。資金難のクラブを支えるためだった。遠征はまとまった収益を残したが、選手の多くは戦地へ戻らなかった。クラブの存続と、一人ひとりの避難が同じ旅の中で分かれた。

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10

3度優勝した監督は、1938年に仕事を失った インテルとボローニャがヴァイスを教え直す理由

アルパド・ヴァイスは、インテルとボローニャで計3度のイタリア王者になった。だが、ユダヤ人だった彼は1938年の人種法で仕事と居場所を失い、1944年にアウシュヴィッツで殺された。長く忘れられた監督を、二つのクラブはいま、追悼式だけでなく育成年代の学びへ戻している。

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09

アウェー更衣室を産科外来へ トッテナム本拠地が約3カ月半で4万1500件を受け入れた

2020年春、トッテナム・ホットスパーの本拠地は無観客になっただけではない。アウェー更衣室や検査室が、妊婦と女性患者を診る場所に変わった。近隣病院の外来機能を72時間で移し、約3カ月半で4万1500件を超える予約を受け入れた。多目的スタジアムの価値が、スポーツ以外で試された期間だった。

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08

試合のない夜は映画館へ アスレティックの映画祭で出会う、サッカーのもう一つの顔

試合のない週に、サッカーを見に映画館へ行く。スペイン北部ビルバオのアスレティック・クルブには、そんな楽しみ方がある。財団が開く映画祭「Thinking Football」は2013年に始まった。名勝負だけでなく、難民として生きた選手や、記憶を失っていく名監督の人生も上映する。映画を見た後は、作品に関わった人の話を聞ける。

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07

プレーするだけでなく、教える側へ FCバーゼルも参加する「二人一組」のコーチ育成

サッカーを続ける道は、選手だけではない。スイスのFCバーゼルも参加する指導者研修では、障害のある若者とない若者が二人一組で学ぶ。目指すのは、一人がずっと助ける側に回ることではない。互いに力を借りながら、子どもたちにサッカーを教えるコーチになることだ。

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練習場のコーヒーから、サポーターの葬儀まで ウェストハムのクラブ牧師の仕事

選手の話を聞き、スタッフの家族を気遣い、サポーターの葬儀にも関わる。ロンドン東部のクラブ、ウェストハムには、そんな仕事をする牧師がいる。病院の牧師として働くフィル・ライトは、クラブではボランティア。試合に勝つためのスタッフとは、少し違う役割を担っている。

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